【Ⅵ】一大構造変動と変革ビジョン

「新しいシステム」へ

(承前)構造変動の行方が、まだ資本主義の範疇なのかどうかは、差し当たりどうでもよいだろう。問題は、「国民国家・国民経済=集権型システム」が機能不全になり、「新しいシステム」への転換が問題になっているということだ。その行方は「都市・地域のグローカル・ネットワーク=分権型システム」という方向になるのではないだろうか。
言葉の説明から。まず、国民国家や国民経済という枠組みではなく、「都市・地域」を政治と経済の基本な枠組みとするということだ。
そして、「グローカル」とは、グローバル×ローカル、グローバルな視座を持ちつつ、ローカルに軸心を置いて思考し展開するということだ。さらに、「集権」から「ネットワーク=分権」へ、である。「集権」とは、政治や経済の活動に関する権限を中央的なものに集中させる形であり、個々のアクターはその歯車の一つでしかない。現在の国民国家・国民経済がまさにそういう形だ。対して「ネットワーク=分権」とは、まず個々がそれぞれ自立している。自立しているが、バラバラではない。相互に連関し・浸透し・作用している。そういうネットワークを通して、個々の力が、個々の力の総和を超えた力として政治と経済を形成する。
このような「分権型システム」の経済は、都市・地域を基本単位とし、グローバル化と一線を画し、都市の域内経済循環で、都市の内的発展を追求する。これは、すでに地方において地域再生の取り組みとして先駆的に実践されていることだが、それを都市経済の規模で行う。(なお、東京に関しては、一極集中の是正・解体というテーマがある。また、大阪維新の「都構想」とちょうど真反対の発想になる。)そして、その経済の主体は、都市・地域内の主体、すなわち、域内の事業者、社会的企業、共同組合、労働組合、市民組織、諸個人、自治体などだ。
また、「分権型システム」の政治は、基礎自治体を住民の自治権力の実体として、財源と権限も基礎自治体に集中させる。さらに、小学校の校区規模で、全員参加のコミュニティ委員会が基礎中の基礎を担う。公務も議会も、住民が大規模に参加し担う。こうして、中央集権とは真逆のボトムアップで、都市・地域の政治と経済の意思を形成し実行する。
従来の中央政府は、その役割を順次縮小し「分権型システム」に移行していくのだが、大企業やグローバル資本を厳しく規制する役割をしばらくは担う。また、都市間のグローバルな連携・調整・規制、あるいは紛争の解決を担うものとして、国際的公共システムを、都市・地域のグローバル・ネットワークを通して形成する必要があるだろう。
このような転換と生成は、上からの計画によって進むのではない。前号【Ⅴ】で見たような「資本が社会から乖離し、国家をもって社会を総括できない」という事態がそういう転換の流れを生み出していくのだ。しかしまた、個々の人びとの活動が、それをつくり出すのだ。
このような転換と生成においてカギを握る要素は恐らく、一つはエネルギー問題だろう。端的に言えば、化石燃料を基盤とした産業構造であったからこそ「集権型システム」にならざるを得なかった。しかし、再生可能エネルギーへの移行が進むならば、「分権型システム」がむしろ現実的になるだろう。
今一つは、デジタル問題だろう。デジタル化は、それをGAFAなどのプラットフォーマーが独占すれば、支配・監視と収奪の手段となるが、「分権型システム」の下で管理・規制されるならば、有用なツールとなるだろう。
さらに一つは、ジェンダー問題だろう。「集権型システム」はまさにジェンダー・ギャップのシステムであった。そして、ジェンダー・ギャップの解消と「分権型システム」の実現は一体の問題なのだ。
一見、夢物語のようだが、社会的連帯経済とか、ミュニシバリズムという形で端緒的には現実化している事柄だ。そして、現に進行する「資本が社会から乖離し、国家をもって社会を総括できない」という事態が、その可能性を大規模に開いているのだ。(つづく)