
「羅生門」「七人の侍」「砂の器」などの脚本家である橋本忍の「複眼の映像~私と黒沢明」(文春文庫)を読んだ。
橋本忍は黒沢明と「生きる」を撮影中に、次の映画作品を時代劇にすることに決め、テーマを「侍の一日」とするとまとまった。ストーリーは、「朝、侍が起きる。登城の用意を済ませお供とお城に出勤。お城では何事もなく勤めをする」のだが、「仕事が終わり、夕刻近くの下城間際に些細なミスを犯し、自分の屋敷へ帰り庭先で切腹して死ぬ」というものだった。
黒沢監督の意図と狙いは徹底したリアリズムで、切腹する侍の一日を描くことにあった。脚本を担当する橋本忍も、江戸期の侍の家庭での所作や、お城での仕事の詳細を一から十まで調べ上げる必要に迫られた。橋本と東宝の学芸部員2人が国会図書館に通い、江戸前期の武士の生活様式を調べた。歴史学者から直接レクチャーも受けた。
橋本忍がこだわったのは、当時の江戸詰の侍たちが登城の際に「お昼ご飯をどうしていたのか」ということだった。屋敷から弁当持参であったのか、江戸城で昼食が供されたのか、そもそも当時の食事情として1日2食か、3食だったのか、調べてみてもわからなかった。それで、結局「侍の一日」の映画化を断念したそうである。ここに映画人としての表現に対する厳しさと矜持をみた。
森達也監督の「福田村事件」は絶大な期待と評判を呼んだ。ドキュメンタリー作家として多くのファンを持つ彼が関東大震災時における朝鮮人虐殺と、誤って殺された香川県の行商人の事件を映画化したのだから。
しかし、言いたい。「こんなでたらめな映画はない」と…。特にハンセン病の人たちにニセ薬を売りつけるシーン。毎日新聞オピニオン欄(23年12月9日)によると行商団の子孫の方は「がまの油みたいなニセ薬を売る設定だが、事実に反する。当時の行商はまっとうな商売をしていた」と指摘する。
ニセ薬のエピソードは、脚本家の佐伯俊道氏が「大島青松園で生きたハンセン病回復者の人生の語り」からヒントを得たと思われる。その証言集に、ニセ薬を買わされた人の話が出てくる。映画で行商人の親方が、「罪滅ぼし」としてハンセン病のお遍路さんにおにぎりを渡すシーン。ハンセン病の後遺症のために変形した両手をアップにしている。許される表現ではない。
私は8月24日に行われた製作者側との話し合いにズームで参加した。森達也氏は終始不貞腐れた態度で、「差別を助長拡大していない」と言っていた。「国立療養所に現在、何人くらいが生活しているか知っていますか」と聞くと、森氏は「100人くらいかなあ」と答えた。ハンセン病問題にかんする生半可な知識で、問題のシーンを撮ったわけである。
森監督は「映画は観た人のものになる」と言うが、批判的な感想には聞く耳を持たない。こういう人が今も人権問題の催しに呼ばれ、講演を続けている。(こじま・みちお)
