
10月5日、沖縄へ向かう。名護市辺野古と安和で新基地建設反対の行動に参加するためだ。辺野古ぶるーHYОGОの小野さんら4人で那覇空港着後、すぐに辺野古へ。
翌6日の午前中はカヌー教室。いつもは松田ヌ浜だが、この日は波が高く、防波堤のあるテント1の下で行った。カヌーに乗るのは4月の海上行動以来。操作を思い出しながら漕(こ)ぐ。気温は30度を超え、熱中症を心配する。転覆からの復帰(再乗艇)練習を行った。
夜は芳沢あきこさん、うみさんとの交流会。芳沢さんは宮古島出身。国費留学生として本土の大学で学んだ。卒業後、伊江島で教員となる。日教組運動にもかかわった。退職後は、辺野古の新基地建設反対の行動だけでなく反原発や平和運動などに参加してきた。
沖縄と本土の絆を
私が4月に辺野古にきた時、芳沢さんはキャンプシュワブ・ゲート前で太鼓を叩きながら歌い、座り込みの市民を激励していた。今は腰と胸を痛め、コルセットを巻いている。「辺野古に基地をつくらせない」「日本を変えるためには、本土と沖縄がもっと結びつかなければ」「だから自己決定権は求めるが、沖縄独立とは言わない」と自己紹介。三線を弾(ひ)きながら「安里屋(あさどや)ユンタ」やウチナーグチで「童神(わらびがみ)」などを唄(うた)った。小野さんもギターで加わる。
うみさんは、那覇に部屋を借りて新たな取組みを始めた。「20代の半ばを超えたが、『うみかじ』の発行などを通じて、本土の若者に沖縄や韓国、台湾のことを知ってもらい、交流の場をつくりたい。辺野古・神戸行動のみなさんにも会いたいな」と話していた。
7日も午前中はカヌー教室、安和桟橋での行動、キャンプシュワブ・ゲート前の座り込みと、それぞれ参加した。私は小野さんと安和桟橋へ。
今年6月28日、安和桟橋の出口付近で警備員と抗議活動中の市民が大型ダンプに接触する事故があった。警備員の男性が死亡、抗議していた女性は負傷。事故の検証がまだ終わっていない8月22日、防衛局は安和桟橋での土砂搬入を再開した。
桟橋入り口には「テイケイ」(警備会社)の警備員25人ほどが、オレンジ色のネットを広げて立ちはだかり、通行や抗議を妨害する。反対側の出口には、アルソックの警備員が同じように配置されていた。警備会社約100人、沖縄県警の機動隊、沖縄防衛局の職員などが動員されている。
つえの男性を不当逮捕
9月26日には、つえをついて抗議に参加していた男性が不当逮捕された。「防衛局職員の胸を両手で押して転倒させた」という。デッチ上げだ。一緒に抗議していた市民は「彼は足が悪く、つえをついていた。防衛局職員とは、手を伸ばしても届かないくらい離れていた。彼が押したり引いたりできるはずがない」と証言している。男性は29日に釈放された。
安和桟橋での抗議スタイルは「牛歩」。「歩道を歩く権利」を掲げてオレンジネットの前で抗議し、隙(すき)をついて歩道に上がって牛歩する。すると、テイケイ「ロボット」の赤色灯が回り、耳をつんざくようなサイレンが鳴り響く。桟橋の入口では、「牛歩」でゆっくりと通行する車も。抗議行動の市民による説明では、大型ダンプの土砂搬入は、1日1000台を超える。以前に比べて増えている。
「2136日」
安和桟橋での抗議行動は10月7日で「2136日」。この数字が看板に表示されていた。
午後から海上行動。台風の影響で本格的な工事は行われていない。A護岸工事付近では、鉄杭が突き出している。カヌーで行動中、平和丸に戻るようにと指示が出た。船に乗り込むと突然、激しいスコールに見舞われ、前が見えなくなった。20分程でおさまり、平和丸に曳航(えいこう)され、松田ヌ浜に向かう。海の透明度が高い。途中でウミガメを7匹見た。ウミガメさんも、辺野古新基地建設で困っているのだ。「自然を破壊するな」と言っているようだった。(高崎)
