
本作の主人公のLは女性の小説家。物語は2021年7月、Lが台湾籍で初の、また日本語を母語としない作家としては二人目の芥川賞を受賞するところから始まります。
Lは受賞によって注目を浴びる一方、その後2022年にかけて数々の「厄災」にみまわれることになります。それはまず、Lが発してきた現実社会、政治への批判に対しての、著名な作家や評論家たちからの圧力であり、さらにSNS上での匿名アカウントからの誹謗(ひぼう)中傷でした。それらは表現、創作において率直に政治的メッセージを盛り込むことを封じ、在日外国人への差別、排外主義の扇動でもありました。Lはそうした攻撃を黙認せず、丁寧かつ厳しく反論を公開し、抑圧を跳ねのけていきます。
しかしその後、「厄災」はより厳しくLに襲いかかります。それはトランスジェンダー差別に基づく激しくおぞましいヘイトスピーチとしてありました。
「2015年6月26日、アメリカ連邦最高裁の判決により、アメリカ全土で同性婚が合法となった」。それ以降、性的マイノリティへの差別は、その中でもトランスジェンダーが主な標的にされるようになり、今もその渦中にあります。日本でも2018年、お茶の水女子大学がトランスの生徒の受け入れを打ち出したことをきっかけに、トランス差別が激しくなります(現実にはその後のLGBT理解増進法の審議過程以降、今に至るもトランスへのバッシングは続いている)。現実社会で起きているトランスジェンダーへの差別、バッシングが国際的に波及していくこうした状況の中で、Lにも「厄災」が降りかかってきたのです。
Lは卑劣な差別者からの攻撃を受け、死を選びそうになりますが、ぎりぎりのところで生きる決断をします。言葉による力を信じ、言葉を使うことを生業とするLは、人を差別し貶(おとし)めるような言葉の数々を自身の言葉によって打ち返し、掃き清めることを決意し生きていきます。Lを通して、性的マイノリティが受ける暴力、差別の被害の深刻さと、それとの闘いが描かれます。
本作には政治家、作家、評論家が実名で登場し、彼らの発した言葉は全て実際に言ったり書いたりしたものです。社会がコロナ禍にあったことや、ロシアによるウクライナ侵攻、安倍元首相銃撃はもちろんのこと、本作の中で起きる出来事も基本的に実際に起きたことです。特に性的マイノリティへの迫害と、それとの闘いは史実に基づいて詳しく書かれています。「ストーンウォールの蜂起」すら私は知りませんでしたが、そうした当事者の闘いと訴えに深い感動を覚えました。
哲学者の高井ゆと里氏は帯に「記録せよ。記録せよ。記録せよ。私たちの生を。私たちの死を。私たちを憎むものらの醜い姿を。そして、私たちが何者であるかを」と寄せています。(松本武彦)
