
【Ⅶ】福祉国家は「守れ」なのか?
【Ⅵ】の議論に踏まえれば、やはり「国民国家・国民経済=集権型のシステム」それ自体が「古い枠組み」だと言うべきだろう。ところで、新自由主義は、グローバル資本の要請として、「古い枠組み」を一掃するとしている。いうまでもなく「牢固とした旧弊」(【Ⅳ】参照)は一掃されてしかるべきだ。しかし、「戦後的な諸制度」(【Ⅳ】参照)はどうか。これは壊してはいけない。では「守れ」なのか?
ここで【Ⅵ】の議論が重要だ。「戦後的な諸制度」は大切なものばかりだが、しかし、いつしかそれらが国家の機能として吸い上げられ・国家の施しであるかのように転倒され、今や、その国家が機能不全に陥っている。
原点に立ち返って考えるべきだ。そもそも「戦後的な諸制度」は、民衆自身が運動の力で一つひとつを闘い取り・実現してきたものだった。しかし、資本が私的利益追求を全面化して、「資本が社会から乖離し、国家をもって社会を総括できない」以上、福祉国家への回帰ではないだろう。福祉国家は「守れ」ではない。
そうではなく、「集権型システム」から「分権型システム」への転換という中で、「戦後的な諸制度」の再形成と創造を展望できるのではないか。「戦後的な諸制度」を国家から住民自治権力の下に取り戻し、民衆の下で民衆の力による制度に作り変えるのである。
そして、それこそ、実は若者たちが、「戦後的な諸制度」にたいして提起してきたことへの応答であり、さらに、新自由主義の攻撃にたいして、ただ「守れ」と防衛的に対応するのではなく、民衆自身が制度を創造するという攻撃的な方向で対応できるということだ。
【Ⅷ】長期停滞の原因と3つの選択肢
経済の長期停滞問題を言いながら、その原因について述べてこなかったが、まさに、【Ⅵ】で見たように、経済・社会・国家のシステムが、旧いシステムから新しいシステムに転換する大きな構造変動の時期に差しかかっていることこそ、長期停滞の最深の原因なのだ。資本主義200年の歴史で、波動的に繰り返してきたことだが、まさにその時期を迎えているということであり、事態は、アメリカをはじめとするグローバルな現象だ。
しかし、そういう資本主義の構造変動という問題以前の直接的な原因があった。端的に採用した政策が全く間違っていたという問題だ。新自由主義政策であり、その裏付けをなしてきた主流派経済学の大間違いである。
30数年来、世界の経済学者・エコノミスト・当局者らは、主流派経済学に基づいて、次のように主張してきた。曰く、「財政出動はよくない。緊縮すべき」「経済成長の要因は、供給サイド(資本家、富裕層)だ」「供給サイドの活動を妨げている規制を撤廃すれば、経済は成長する」「成長を追求すれば不平等が拡大するが、平等を追求すると経済は停滞する。だから、平等は犠牲にして成長を追求し、そうすれば下層にもトリクルダウンがもたらさせる」
しかし、その主張は現実にことごとく否定された。その政策を追求した結果が、30年来の長期停滞だったのだ。主流派経済学の教説は間違っていた。これが、アメリカで08年リーマン・ショックと11年「ウォール街を占拠せよ」運動の以降に、著名エコノミストも含めて起こった「長期停滞論争」の主要な結論だ。
そして、主流派経済学の教説を愚直に信じ、どの国よりも財政出動を抑制し続け、そして、どの国よりも深刻な経済停滞に陥ったのが日本だった。グローバル化が迫られ、「改革」が叫ばれ、新自由主義政策が推進されてきた「にもかかわらず」長期停滞に見舞われたと【Ⅱ】で述べたが、正しくは、「それ故に」ということだ。
改めて3つの選択肢
以上の全体から、最後に、改めて3つの選択肢(【Ⅱ】)の問題に戻ろう。
①「古い枠組み」を守る―これは、資本主義の大構造変動の中にあって、滅びゆく「古いシステム」にしがみつくものでしかない。
②「古い枠組み」を打破する新自由主義―これは、30年来の長期停滞の直接の原因であり、間違った教説そのものだ。
③現在進行する資本主義の大構造変動に踏まえ、新しいシステムへの方向を「都市・地域のグローカル・ネットワーク=分権型システム」と見るならば、これこそが、「古い枠組みと新自由主義の両方をくし刺しにするオルタナティブな変革ビジョン」に他ならないと確信をもって提起できるだろう。
(おわり)
