2007年、「希望は、戦争」という論考が社会に衝撃を与えた。非正規雇用の若者たちが見殺しにされる状況を問題視し、貧困や格差が戦争の温床になることへの警鐘だった。それから14年、非正規雇用はさらに拡大し、戦争準備は着々と進行している中で、「戦争」「平和」そして「反戦」とは何かを問いなおすシンポジウムが京都市内で開かれた(10月20日、主催は10月国際反戦デー実行委員会)。パネリストは、京都大学大学院教授の駒込武さん、きょうとユニオン書記長の服部恭子さん、京都・祝園弾薬庫問題を考える住民ネットワーク共同代表の呉羽真弓さん、京都大学大学院生の張彩薇さん。各発言を要約した。(文責/本紙編集委員会)

台湾字が望む平和とは
張彩薇(ちょうあやみ)さん
「台湾有事」を口実に軍備増強をはかる政府に同調する人、それに対抗して「台湾有事は虚構」と言ったり、「一つの中国」原則を前提に、日中による台湾情勢の安定と東アジアの平和のための努力を強調したりする人。どちらも台湾に生きる人びとのことを何も考えていないという点で同じだ。台湾人は戦争を望んでいない。しかし日常的に感じる中国からの圧力は台湾人にとって虚構ではない。そのプレッシャーは、台湾人の生活感覚の次元まで軍事化している。私たちにとっての平和は、「戦争にならない」ことだけではない。「自分たちは誰なのか」「自分たちはどのように生きたいのか」、それを勝手に決めつけられないことだ。主権国家体制が当たり前とされる秩序の中で、国家を持たない者として排除され、不利益を被ることがないことだ。それが台湾人の望む平和だ。その「思い」が、常に「戦争」あるいは「平和」のもとで覆い隠されている。あえて言わせてほしい。その隠されているものを見つめることなしに、戦争をとめることだけをテーマと考えるのなら、その「反戦」は表面的なものにすぎないと。平和の影で見えなくされている人たちはいないか、よく目を凝らしてほしい。本当の反戦の道はそこからではないか。

大学が戦争の道具に
駒込武さん
「台湾有事」で日本が巻き込まれるというイメージがあるが、そうではない。日本政府は南西諸島や台湾の人びとを巻き込む側だ。一方、中国政府がめざす社会主義強国化の背景には「百年国恥」と「中華民族の偉大な復興」がある。そこには一定の歴史的理由があり、それへの中国人民の支持があるとしても、台湾の人びとの思いにも目を向ける必要があると強く感じる。中国政府が主張する「台湾統一」の根源には日清戦争後の日本による台湾占領がある。まずそこで日本が責任を取らなければならない。大切なことは、あたかも台湾の人びとが望んでいるから日本は軍備を増強しているのだというような見方のまやかしを見抜き、批判することだ。
政府は強引に若者たちを自衛隊に取り込もうとしている。「一生ハケンより自衛隊はまだマシ」という声が出てこざるを得ない現実がある。日本学生支援機構の役員が「奨学金を返済できないやつは、自衛隊に送り込め」といい、自衛隊に入れば奨学金をタダにする自衛隊奨学制度が拡充されようとしている。大学は学費値上げを通じた経済的徴兵制や軍事研究の推進によって戦争の道具にされようとしている。
9月に発表された京都大学の運営方針会議の顔ぶれは10人中6人が学外者で、現役の経団連の副会長や日本で最大手の軍需企業・三菱重工の取締役が入っている。運営方針会議は大学の重要な方針を全て決定し、総長の首をすげ替えることもできる。私たちの気づかないところで、戦争準備がとてつもない勢いで進んでいる。その犠牲にされるのは宮古島、石垣島、台湾の人びとだ。これにたいして「何をすべきか」が、日本本土の人間に問われている。

連帯をつなぎ直す
服部恭子さん
物価高が低所得者層を直撃している。米の高騰が節約生活にとどめを刺した。24春闘で連合は5・1%賃上げを誇ったが、中小企業は25%が賃上げなし、零細では45%が賃上げなしだった。フリーランスやギグワークといった雇用によらない(労基法が適用されない)働き方が増加している。18年のフリーランス白書では1000万人に上っている。外国人労働者の貧困も深刻で、最低賃金すら下回っている例もある。また入管法の改悪で外国人に対する管理と強化が進んでおり、税金滞納で国外追放という。それならば、自民党の裏金議員らはみんな国外追放だ。貧困が深刻化する中で政府はNISAやIDECOなど投機によって庶民からお金を吸い上げて経済を回そうとしている。こうした中で労働者の連帯をつなぎ直すために最低賃金の運動に取り組んでいる。この運動は誰でも取り組むことができるし、最低賃金を引き上げることで社会を活性化できると思う。

ミサイルより花束を
呉羽真弓さん
ステージ下の横断幕は12式(ひとにしき)地対艦ミサイルの実物大の9メートルサイズをあらわしている。これが祝園弾薬庫に収められることを実感してほしい。14年7月1日、当時の安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行った。日本が直接攻撃されなくても武力行使ができるようにする「解釈改憲」によって、「平和国家」のあり方が変わった起点だった。あれから10年。一昨年12月には安保3文書を閣議決定し、5年間で43兆円の防衛費の増額、敵基地攻撃能力の保有、そのためのミサイルの保有が決められた。「閣議決定」で何でもやりたい放題。日米の軍事一体化が進み、戦争につながっていることを実感している。学研都市の中に300億円をかけて弾薬庫が増設され、ミサイルの保管場所にされようとしている。本当にそれでいいのかと、周りの人たちに声をかけ続けていこうと思っている。勇ましい言葉よりも優しい言葉を! ミサイルよりも花束を!
