
10月12日、フューチャー大阪主催の「『大阪の公教育』15年、何がどのように変わったのか? ―公教育の再建のために、これから必要な取り組みは?」という学習会に参加しました。
講師の住友剛(つよし)さん(京都精華大学国際文化学部教員)は、2001年から青少年会館事業や大阪市の子ども施策や教育施策にかかわってきた方です。住友さんの講演の要旨を紹介します。限られた紙面では伝えきれませんが、何かヒントをもらったような気がしました。(池内潤子)
住民が自治の主体に
住友 剛さん
そもそも「公教育」「学校」とは何でしょうか。学校とは、子ども・若者の学びの場であるとともに、地域社会のコミュニティ形成の柱になる公共施設でもあります。地域の公立学校がなくなれば、同時に防災の避難拠点がなくなります。校区が再編されたら、校区単位の地域福祉や自治会活動単位も修正せざるをえなくなります。
学校選択制・学校統廃合は、保護者と子どもが学ぶ場を選ぶ制度ですが、その選択の結果は「地域社会のコミュニティ形成」の在り方にまで影響を及ぼします。また統廃合が進めば、幼い子どもが「自力で登校できる範囲」は狭くなります。自分の子どもが行きたい学校に行ければ、それでいいのでしょうか。
「公教育」とは何でしょうか。「学ぶ権利の保障」という面と、国や地方自治体が、法令・指針づくり、財政支出、教職員の雇用などを通じて、教育の方向性を左右することができます。つまり教育を通じて人びとを「支配」することが可能になります。
「大阪の教育改革」15年を振り返ると、当たり前のことが書き換えられた15年といえます。「首長主導」が当たり前になり、何か始まるときには、マスメディアの発表で知らされる(コロナ禍のときの臨時休校、タブレット配布など)ようになっています。
この15年は子どもが小学校に入って大学を卒業するまでの間に相当します。今の子どもたちにしてみれば、私たちが当たり前ではないと感じていることが当たり前なのです。教職員にしても「世代交代」の15年であり、「非正規」雇用常態化の15年でもあります。「昔はよかった」的な話は通用しません。
では、今後公教育の再建のためにどのような取り組みが必要でしょうか。私たち住民が、サービスを受け取る「消費者」ではなくて、自治の主体として、どのような公教育・学校の姿を望むのか、そのことを明確に打ちだしていくことが大事ではないでしょうか。
