「尊厳死」発言が問題となった国民民主党の玉木雄一郎氏

衆院選公示の7党党首討論(10月12日)で国民民主党の玉木雄一郎代表の「社会保障の保険料を下げるためには、われわれは高齢者医療、特に終末期医療の見直しにも踏み込んだ。尊厳死の法制化も含めて。こういったことも含め医療給付を抑え、若い人の社会保険料負担を抑えることが、消費を活性化して次の好循環と賃金上昇を生み出すと思う」との主張に多くの人が不安を覚えたはずだ。SNSには「うば捨て山だ」「優生思想だ」と批判の声があふれた。
終末医療と介護はデリケートな問題である。若い世代の貧困化と重税は問題だが、そこに「安楽死」問題を安易にもってくるのは筋違いだ。まず非正規雇用の撤廃や社会保険制度の負担軽減、企業負担の拡大がテーマにされるべきである。
国民民主の政策パンフレットには「本人や家族が望まない医療を抑制」とある。これは根本的な問題がある。終末医療の主体はあくまで「本人」だ。どんなに家族関係が円満でも、家族は主体ではない。医療・介護の関係者は時間をかけて本人の意向を把握し、最終局面で判断を誤らないように力を尽くしている。
SNSで「医者はカネもうけのために、終末期高齢者を管だらけにしている」「だから尊厳死の法制化に反対する医者がいるのだ」などの言説を流布されているが、事実誤認だ。老衰で終末期にある高齢者を、集中治療のために入院させてくれる病院などない。
老衰で、本人の意思とかかわりなく胃瘻(ろう)や点滴が行われる場合でも、それは医師の勧めや押しつけではない。ほとんどは家族の要望である。老衰末期、経口摂取不能となった場合の点滴は医学的に意味がない。医療者の常識である。多くの場合、本人も家族も「なるべく自然な最期」を希望している。
多様な「自然な最期」に寄り添うには職業的な執念が必要だ。私の経験の範囲で言えば、「最期まで、人らしく大事にされていたい」という願いはすべての人に共通している。介護ヘルパーは、その人の抱える不安や苦痛と向き合いながら、時には「死にたい…」という言葉も聞きながら、それでも少しでも良くなるように日々努力している。「安楽死法案」など到底認められない。(小柳太郎/介護ヘルパー)