
日本の侵略と戦争
「戦争に行きたくない」と言える子を育てられたか けふ退職す(朝日歌壇、10月6日)
昭和恐慌と1929年の世界大恐慌、帝国主義日本はどん底の大不況に陥った。米と繭の価格暴落、農村は困窮状態に陥る。そこから、「満蒙は日本の生命線」という声が広がった。軍部は「満蒙問題の武力解決」を要求する。1931年、柳条湖事件。日本軍が鉄道を爆破し、中国侵略戦争を開始。翌32年「満州国」をデッチあげた。
「満州国」は、関東軍が実権を握る傀儡国家となる。帝国主義日本の対ソ連の前線となり、鉄鋼、石炭、農産物の収奪、投資と商品輸出の市場にした。不況にあえぐ日本の農村過剰人口のはけ口となる。柳条湖事件以前の1925年、「満州」移住者は23万人、31年から敗戦までの15年間で200万人以上。開拓団は27万人となった。「満州」移民は、王道楽土建設に励む者と美化された。農業に従事するだけでなく、武装集団として軍事訓練を受けた。開拓とは名ばかり、中国人民の既耕地をタダ同然で取り上げた。中国人には、小作やクーリー苦力として奴隷労働を強制した。
事件・事変から侵略へ
1939年、「国境」を巡り、日本・満州国軍とソ連・モンゴル共和国軍との戦闘が始まる。日本は「ノモンハン事件」と称し、「宣戦布告」をしない「事件、事変」として侵略・戦争を拡大していく。明治憲法下の統帥権は天皇にあったが、日本軍は何らの命令、許可もなく「国境」から130キロもの奥地を爆撃した。戦争を仕掛けながら、責任はとらない。軍指導部は何ら責任をとらず、前線に罪をなすりつけた。
明治以降、大日本帝国は日清、日露戦争、朝鮮併合、満州、大陸北方への武力侵略、膨張を進めた。さらに、豊富な資源を求め東南アジアへの武力侵攻を開始、アジア太平洋へと戦争を拡大していった。(参考:『隠された「戦争」』鎌倉英也著・論争社)
反省に立っているのか
私たちの平和主義とは何だろうか。この侵略、戦争の反省に立っているのか。加害責任、侵略戦争の事実と歴史への責任が問われている。
2022年2月、ロシアがウクライナへ侵攻した。爆撃や砲撃で毎日、傷つき命を奪われ、街や村を破壊されているのはウクライナの人びとである。前線では兵士たちが命を落としている。戦争を始めたのは、プーチンのロシアであることは明らかだ。同時に、西欧はNAТОを東方に拡大してきた。「西欧の歴史、西側の価値観と民主主義」は、問われないだろうか。
ウクライナの人びとは、侵略に抵抗することを選択した。侵略、戦争という暴力と支配に抵抗する人びとの「暴力」を悪として断罪するなら、侵略を肯定し援助することになる。抵抗の権利を認めないなら、私たちは国家の暴力に対しても沈黙を続けなければならない。 (小林嘉直)
