
2014年7月から、沖縄防衛局は「辺野古新基地建設」にむけた一連の準備作業を開始した。ダンプなど工事用車両による資材の搬入は正面ゲートとは別の工事用ゲートで行われる。搬入は夜遅くか早朝に行われることが多い。正面ゲート前で急を聞いて駆け付け抗議する市民と、沖縄県警機動隊との押し問答が繰り返されていた。
7月24日夜、沖縄防衛局は抗議行動を阻止するために、工事用ゲートに三角形の波型鉄板を敷き詰めた。足を取られれば転倒し怪我をすることは明らかな、大きな凹凸のある物々しい代物だ。
それでも抗議運動は続けられた。15年1月14日深夜には、糸数、山本両参院議員も駆けつけ阻止行動の輪に入った。
ブロックを積む
16年1月26日、工事用ゲート前に建築用ブロック700個が積み上げられた。ブロックを排除するのに機動隊員は20分を要する。排除されても、されてもブロックを積み上げる。結局1時間ほど生コン車を止めた。翌27日、ゲート前テントへの送迎車の中で山城博治さんから、この奇抜なブロックオブジェの意味について説明を聞いた。私もブロック運びを手伝った。午前中は機動隊も手を出さなかったが、午後にはブロックは撤去されてしまった。
28日午後3時前、ブロック140個を購入し浜のテントに来た稲葉さんの車に同乗、工事用ゲートへ。ゲート前ではブロックを積み始めており、機動隊は見ているだけだ。「第2ゲート(弾薬庫)前にもブロックを積む。目の前に2トン車が止まっているだろう。これを第2ゲートにもっていき積み上げるよ」と通告するも、機動隊はまったく動かない。その後、新たに届いた200個のブロックも、ものの10分で積み上げる。計1000個のブロックのオブジェが完成した。いつの間にか、ブロックには色とりどりのイラストやメッセージが次々と書かれていった。
東京からブロックが
1月29日、この朝は不思議に機動隊の動きがなかった。彼らはブロックの扱いを検討していたに違いない。工事用ゲート前に積み上げられた幅7メートル、高さ1メートル70センチのブロック壁の処理を考えあぐねていたのだろう。この間工事用車両は、工事用ゲートを一切通過することができなかった。
ブロックは約1500個にも達していた。東京から宅配便で1個のブロックが届く。そこには抗議と激励の文字と絵が描かれていた。ブロック1個より送料の方が20倍も高い。心意気である。
同じ日、福岡高裁那覇支部での裁判では、知事と稲嶺名護市長の証人喚問が認められ、裁判長は、次回の公判で結審すること、さらに和解勧告を出した。工事取消し訴訟に対し、いかなる和解が成り立つのかと「オール沖縄」の人たちも首をかしげていた。
積み上げたブロックで工事車両の進入は食い止めていたが、そのブロックも機動隊によって30日に2時間かけて撤去され、8台のトラックで名護警察署に運び込まれた。
長期拘留
博治さんも早朝6時から、雨に打たれながらの指揮で雨と汗とでびっしょりだった。テント2に帰って着替え、すっきりしてゲート前テントに帰ってきた。彼は開口一番、「今後どうするか、早急に考えねば」と問いかけた。彼の体調は一見、食欲もあり元気そうだが、疲れがたまっていることが明らかだった。
10カ月後、名護署は威力業務妨害罪で山城さんを150日、稲葉さんを100日の長期にわたって逮捕拘束した。権力は、非暴力市民運動としてごく当たり前の行為さえ潰していこうとする。その後、16年3月、福岡高等裁判所那覇支部の和解勧告を受け、「辺野古新基地建設」について国・防衛省と沖縄県との和解が成立した。(住田一郎)
