1・17 神戸市役所前

被災者支援、生活再建を振り返る
1995年1月17日午前5時46分。阪神淡路大震災(六甲・淡路島断層帯、M7・1、最大震度7~6)が淡路、神戸、宝塚などを襲った。6434人が亡くなり、多くの人が家や家族、知己を失い、
その後の苦難の暮らしを強いられた
神戸市役所前で「被災者追い出しを許さない!1・17追悼・連帯・抗議、阪神淡路大震災30年」被災地の集いが開かれ、約50人が参加した。震災直後から市や県に、避難所の改善や生活再建支援、住まい確保などを訴え、被災者連絡会を立ち上げた河村宗治郎さん(2018年没)が呼びかけ、毎年続けられてきたが、今年30年を区切りに開催を終える。
「震災から30年。震災で失ったものが未だに回復していない。借り上げ住宅、復興住宅などさまざま運動してきた。住まいと暮らしの再建が大きな課題となる中で阪神淡路大震災を契機に、被災者生活再建支援法をつくることができた。不十分だったが生活再建のスタートの制度だ。その拡充をめざし各地の被災地と声をあげていこう」と、粟原富夫・神戸市議があいさつ。
被災者・市民団体が「仕事を失い、みんなで仕事開発事業を立ち上げた。市や県に要求、座り込みも。復興住宅からの追い出しとも、たたかった」「能登地震の対応に活かされているのか」など、それぞれの思いを語った。
東遊園地公園には灯篭約6500本が用意され、「よりそう1・17」の文字が描かれた。市役所前の歩道は、死者に祈念する銘板や灯籠を訪れる人たちの行き来が絶えなかった。(高崎、竹田)