
「民主主義と人権をとり戻す3・22兵庫県民大会」約400人の集まりを、どう考えるか。いまの市民運動の力量として「まずまず。よく頑張った」なのか。あまり参加人数で一喜一憂するのではなく、内容や運動の流れを注視しながら熟議することが大切かと思う。
昨年9月、「斎藤知事の辞職を求める緊急県民集会」に600人、11月の斎藤再選、12月「兵庫知事選挙に異議あり真相究明集会」には、300人の会場に1600人を超える人たちが集まり、付近の路上に長蛇の列となった。
今年2月、県庁「ヒューマンチェーン」に120人が並んだ。菅野氏ら呼びかけによる集会に1000人、そして今回の「3・22県民大会」となった。
集会や、県庁包囲行動、県議会各会派や選管への申し入れなどが、タイムリーに行われてきた。そして今回は集会と、集会後の元町商店街へデモ。「もう詰んでいるぞ、斎藤知事」などのパネルやコールに、通行の人たちも注目していた。継続的な運動とアピールは市民デモHYОGОをはじめ、市民の粘り強い呼びかけと行動の力であり、そのような運動があることの大切さを示したと思う。
111万人が「斉藤に」投票
昨年11月から始まる、立花孝志のユーチューブによる放言(再生1500万回)、11月17日の「斎藤再選」の<大きな反動>があった。稲村候補の98万票に対し「111万人の人たちが斎藤に投票した」重さを受け止めなければ…。「フェイクに騙されるダメな有権者」という一方的な決めつけではすまない。ユーチューブやSNSは、「エコーチェンバー」「フィルターバブル」(アルゴリズム、同じような意見が拡がり多様な意見に触れることができない、敵を作り攻撃的意見に偏ってしまう現象)を激しくし、「自ら信じれば事実」となるような社会をもたらした。そこに、私たち「旧来のリベラル運動」も飲み込まれてしまうという認識がリアルに求められる。
このような社会に、「社会変革の灯り」となるような運動を切り開くためには、どう議論し、どういう運動を展開しなくてはならないか。呻吟する必要があるのではないだろうか。
問われる市民社会と運動
竹内さんのあと、他の県議ら(保革を問わず)がSNS上はもちろん、リアルでも攻撃のターゲットになっている。今回、集会に参加できない状況となり「一言メッセージ」しかだせなったことをどう考えればいいのか。彼らが「支えられ、発言できる」というには、力不足は否めない。当然にも「参加できない」判断があっただろう。結果論だが、議員たちの「決起や発言」に依拠して集会を行なう、広げるという思惑そのものに無理があっただろう。その逆の発想が必要だったと思う。
大会宣言や、それぞれの市民団体の発言は、内容も元気もあった。だからこそ、考えなければならないのは、議員の人たちが言う「どう運動を発展させていくのか、方向、とりくみを示して欲しい」「もし署名運動などを行なうなら、最低でも10万筆は欲しい」などの提起を、真剣に考えなければならない。署名運動を行なうなら、見通しはわからないが少なくとも数万筆は集めるという運動の力が必要だろう。
百条委員会の報告(3月5日)、第三者委員会報告(3月19日)が出された。斎藤知事は「一つの考え方」「…の可能性なら、別の可能性もある」など、真摯に向き合う姿勢はまったくない。文書開示請求に答えない。定例記者会見でも、「その姿勢」こそが問われているのに、「県政をしっかり前に進めるのが、私の仕事」などと、どこ吹く風である。
「県民局長の処分撤回」と謝罪」求める
少なくとも、2つの報告を深刻に受け止め「元県民局長の処分を撤回し、謝罪せよ」と求めなければ。斎藤は居座り続け、県議会共産党が辞任要求を出したが、わずか2議席だ。第3者委員会報告は「処分は違法、極めて不当、無効」と言っているのに、斎藤は処分も撤回しない。ここは、斎藤の一番の弱点でもある。そこをひっくり返さなければ、前に進まない。斎藤の最大の弱点を攻めること。そこを通過できれば、「辞任要求へ引き上げる」ことができるかと思う。
MBS毎日放送のアンケート結果では、斎藤に投票した111万の3分の2ほどの人たちが、「このままでいいとは考えていない」となっていた。この3分の2の人たちの姿を、もっともっと、可視化できないものかと思う。
「県庁包囲1人デモ」(12時~1時の昼休み、1号館階段下)が、1人ではなく数人で週1回、粘り強く行なわれている、その努力に本当に敬意を表したい。「1人デモ」は、反原発運動でも「市民権」を得ている。
労組弾圧に対し、関西生コン支部は「広域協デモ」を毎週火曜、1時から30分、20人規模で1年半続けてきた。「継続は力」続けることの意義は大きい。斎藤知事、県政へ怒りと不信は渦巻いている。その思いを解き放ちたい。(啓)
