ドイツ左翼党の連邦議会議員 ハイディ・ライヒネック

2月に行われたドイツの連邦議会選挙では極右「ドイツのための選択肢」(AfD)が倍増して第2党に躍り出ました。「民主主義の退行」と呼ばれる世界と日本の状況にどう抗(あらが)っていくのか。ドイツ政治と平和研究が専門の木戸衛一さんが、4月6日、京都市内で行った講演の要約を紹介します。(文責/編集部)

トランプとヒトラー
今年1月20日にトランプが米大統領に就任すると、世界終末時計が残り90秒から1秒進んで89秒になってしまいました。ようやく反トランプのデモが各地で起こっているようですが、トランプが最初に大統領になったときの抗議に比べると弱いですね。今のアメリカの状況は、ヒトラーがドイツで政権を取ったときと似ているように思います。ヒトラーが登場したドイツを「野蛮化」と捉えたのがトーマス・マンです。
彼はそれを1933年6月23日の日記で「うそ、否認、矛盾どう着、愚かで誤った多弁などの横行」のことだ書いていますが、これはまさにトランプそのものです。当時のドイツの政治エリートたちはヒトラーを「ウソつき」「ゴロツキ」と酷評して、「あんな政権は持つはずがない」と言う思いが共有されていました。トランプが最初に登場したときもそうした意見の人も多かったのではないでしょうか。それが4年の任期を全うし、再登場してきたのです。さらに憲法変えて3期目ということにもなりかねません。

有権者のネオリベ化
いま「民主主義の危機」と言われていますが、トランプは国家そのものを破壊使用しています。それは新自由主義の下で進んできた「小さな政府」とか「民有化」とは次元を画するものです。
オックスファムが今年発表した年次報告書によると、世界の最富裕1%が、世界の全資産の45%を占有しているそうです。そして総人口の44%36億人が1日6.85ドルを下回る生活をしています。これは世界銀行の貧困ライン以下です。本当にひどい状況が毎年進行しています。「よりよい未来への展望の喪失」が排外主義や「昔は良かった」という過去への憧れ、これをレトロトピアと言いますが、内向きで後ろ向きな、にっちもさっちもいかない状況になっています。
1994年から30年刊の間に、世界人口の3分の1の市民的自由や政治的権利が独裁化によって損なわれているそうです。有権者の意識も「今だけ、金だけ、自分だけ」(鈴木宣弘氏)というようなネオリベ化が進んで、政治意識が内向き・感情的・近視眼的になっています。

AfDに肩入れした米政権
さて、2月23日のドイツの総選挙ですが、投票率はドイツ統一以来最も高い82.5%でした。キリスト教民主/社会同盟(CDU/CSU)は得票率28.52%で第1党になったものの、目標の得票率30%に届かず、過去2番目に低い数字になりました。第2党は極右「ドイツのための選択肢」(AfD)で20.8%と得票率を倍増させました。これにはトランプ当選に貢献した大富豪イーロン・マスクが昨年12月20日に、社会民主党(SPD)のショルツを「無能」と罵倒し、「AfDしかドイツを救えない」と公然と干渉し、今年1月9日にはAfDの筆頭候補者アリス・ヴァイデルとX(エックス)上でライブ対談まで行っています。
SPDは現職首相ショルツを筆頭候補に擁立して戦いましたが、結果は第2帝政期以来の国政選挙で最低の得票率(16.41%)に終わりました。90年連合/緑の党はダメージは少なかったですが(11.61%)、政権残留の願望は果たせそうにないようです。

左翼党の奇跡のカムバック
そうした中で奇跡的なカムバックを果たしたのが左翼党でした。左翼党は数年来低迷が続いていまして、昨年6月の欧州議会選挙の得票率はわずか2.7%でした。しかし、地道な戸別訪問やSNSを駆使した戦術が功を奏して、総選挙では64議席(8.77%)を獲得したのです。議員団の他政党に比べて平均年齢は、断トツで若い42.2歳。女性の数も緑の党に次ぐ36人です。
左翼党の筆頭候補者ハイディ・ライヒネック(1988年生)は、AfDの賛同を得て移民・難民流入制限の決議案を通したCDUのフリードリヒ・メルツ党首にたいして、1月29日の連邦議会で激しく非難したのですが、その動画が爆発的な反響を呼んで、2週間足らずで1万7000人以上が左翼党に入党しました。他の政党がAfDの排外主義に引きずられて言ったのに対し、「ファシストには1ミリも譲らない」と対決姿勢を崩さなかったことが、大きな共感を呼び起こしたのです。
左翼党は2023年のザーラ・ヴァーゲンクネヒトの離党によって、同党の連邦議会議員団が解体するというドイツ史上前代未聞の事態に陥ります。じり貧状態が続く中で、昨年10月19日の党大会で新共同代表を選出します。その一人、ヤン・ファン・アーケン(1961年生)は受諾演説で「私はヤン・ファン・アーケンです。億万長者は必要ありません」といって演説を始めました。もう一人のイネス・シュヴェルトナー(1989年生)は入党して1年もたっていない人です。こうした人だからこそ、左翼党のどこが駄目なのかよく分かっていたのです。
この二人がまずやったのは、党の末端組織訪問です。そこで膝を交えて話をする中で、なぜ左翼党が人びとからそっぽを向かれているのか、何を変えなければならないのかという声を集めていきました。さらに自分たちの月収を平均賃金並みに制限しました。
そして選挙では「どの党も政権に入りたがる。われわれは変えたいのだ」をスローガンに徹底した戸別訪問で有権者の要求を聞き取っていたことが左翼党の復活につながったのです。
ドイツに限らずヨーロッパでは、移民・難民制限、原発回帰、気候正義の後退、市民社会への攻撃など極右のアジェンダに保守・ネオリベが同調する傾向が見られますが、差し当たりドイツでは、総選挙の2日後に党員数10万人を超えた左翼党の存在が、政治の野蛮化をくいとめ、民主的で連帯的な社会を再建する足がかりになると思います。