爽やかな季節 うりずん
沖縄の4月は「うりずん」の季節である。朝、辺野古ゲート前テントで、のぼり旗を立て落ち葉を掃いていると、磯ヒヨドリだろうか、涼やかな鳴き声が聞こえる。工事用ゲートのフェンスには、リュウキュウアサガオも咲いている。
8時前になると、今日の進行役やダンプの搬入チェック係などスタッフがやってくる。マイクをセットし、座り込みのためのプラカードや椅子の準備をする。参加者が三々五々集まってくる。沖縄から他府県から、あるいは韓国やハワイといった外国からの参加もある。スタッフには県外からの支援者も多い。彼らのうち何人かは、辺野古周辺にアパートを共同で借り、阻止行動・集会の準備を継続して担ってくれている。

多様な学びの場
行動が始まった2014年当初から山城博治さんがリーダーを務め、初めて参加する人びとを温かく迎え入れている。「歌あり、踊りあり、各地の取り組み報告あり」の座り込みのスタイルが作られた。テントでは多様な学習会~通称「辺野古大学」も開かれている。
16年末に山城さんが県警に逮捕拘留され、大城さんが後を継いだが、現在は参加する県内の各団体によって、月曜日から金曜日までの5日間、それぞれ曜日を分担し、午前9時・正午・3時の1日3回の進行係を務めている。毎月第1土曜日は、県民大行動日だ。毎回、700人近くの参加者が県内外から参加し、テント周辺を埋め尽くす。

座り込みは3900日余
ゲート前座り込みは11年が経過した。3900日を越える、その1日1日を参加者とスタッフたちがつないできたのだ。水曜日は女性団体が担当する。進行は高里鈴代さんと「辺野古ネーネーズ」のU.S.Оさんの4人である。それぞれの個性を生かしながら歌い語り、新しい参加者を紹介しながら阻止行動を盛り上げている。
ところが、昨年6月28日に、安和で搬出状況をチェックしていたネーネーズのОさんが大型ダンプに轢かれ重傷を負った。あの元気いっぱいの歌声が聞けなくなった。Оさん手作りのおいしいパンも味わえなくなった。誘導員と運転手の不手際もさりながら、工事を強引に急がせている政府と沖縄防衛局の責任は大きい。

「基地」は暴力の根源
「基地」とは、こうした「暴力」を生み出す装置だと改めて強い怒りを覚える。昨年7月6日の県民大行動で、Оさんのお姉さんは「妹は骨盤周辺が大きく潰されて2回の手術、その2回目は10時間もかかる大手術でした。さらに、妹は手術台に登る前、以前に高里さんが骨折した時、『骨は折れても心は折れない』との言葉を話していた」と語っていた。長い入院の後、現在はようやく杖で歩けるまでに回復したとのことだが、以前のように動けるかどうか心配だ。1日も早くゲート前で、あの大きく元気な歌声で参加者を励ます姿を見たい。

抵抗の根っこの深さ
水曜日は、(私が勝手に名付けているのだが)「ゲート前水曜ランチビュッフェ」の日だ。Kさんが読谷から自家用車で、毎回10人分ものおにぎりや巻き寿司、数々の副菜を作って持って来てくれる。デザートやコーヒーまでついている。すべて材料費は自費で、毎回5千円~7千円ほどかかるとのことだ。Kさんの心意気だ。彼は、沖縄県退職教員のメンバーである。残念ながら、お齢のせいで車の運転が不安となり、お孫さんに強く止められ中断されている。「ビュッフェ」は、すぐにIさんが引き継いでくれた。
他にも参加者で手作りの一品を寄せてくださる方々もある。初めて参加の人、弁当をもってこなかった人も、「ランチビュッフェ」の輪に入って話が弾む。食後には、ヨガのインストラクターさんが、簡単な身体のほぐし方を教えてくれる。水曜日のゲート前阻止行動は、何とも楽しく有意義な時間だ。沖縄の抵抗運動の根っこの「深さ」と「人」を感じる。(住田一郎)(つづく)