
性暴力事件が後を絶ちません。世間の闇に隠されて、なかったことにされて女性は泣き寝入りというのがほとんどでしょう。一昔前は、被害女性の方が「女の恥」「女に隙(すき)があったのだ」「傷物(きずもの)」「家・親族の恥さらし」「結婚できない体になった」「みだらな汚れた女」と指弾されていました。社会的に抹殺されたにも等しく、未来を閉ざされて、世間から冷遇された一生を強いられるという仕打ちを受けました。しかし今は違います。まだまだ一部の存在かもしれませんが、被害女性が怒りを表明し、加害者を追及し、堂々と告発していける時代を迎えました。
先日、ジェンダー平等と人権問題を中心に活動するジャーナリストの伊藤詩織さんが、自らの体験にもとづいて制作したドキュメンタリー映画がハリウッドで上映され、アカデミー賞の候補として評価されました。当初、彼女が決起したときには、「自分の恥をさらしている」との世間の目が多々ありましたが、今は自分の正義と差別への怒りに起つ決然した姿に、賛同と敬意を持つ人びとが多数を占めていると思えます。
フジテレビの女性差別問題についても、「性暴力が業務の延長上にあった」「被害女性が会社に訴えても、会社は加害者の立場に立って箝口(かんこう)令を敷いた」「女性が絶望の中でPTSD(心的外傷後ストレス障害)となり退職せざるをえなかった」と、第三者委員会は発表しました。ハラスメントがフジテレビに限らず、ジャニーズや松本人志問題などエンターテインメント業界やマスメディアの世界において横行しており、その人権感覚のなさが白日の下にさらされ、フジにおいてはコマーシャルが次々と撤退し、今期の収益が90%減となる社会的制裁を受けました。ああ、時代はここまできたかと感無量です。
2018年、関西においても800人の検察組織を率いる大阪地検トップの北川健太郎が、部下の女性検事に性暴力を働くという事件がありました。「口外すると検察組織がつぶれる」と北川は巨大な権力でもってどう喝し、女性検事の検察組織への「献身性」や「プロ意識」を巧みに利用して黙らせましたが、女性はPTSDと闘いつつ、ついに6年後、被害を告発し、北川は準強制性交の疑いで逮捕されました。初公判では事実を認めながら、裁判が進む中で北川は「自分は無罪」「同意があった」と証言を翻して居直っています。
滋賀医大事件では加害男性のうち1名が有罪確定、うち2名が一審では有罪、二審ではなんと無罪になりました。裁判官はその理由を「同意があった」としています。しかし被害女性一人が三人の男性に抑え込まれて性暴力の動画を撮られるという事態に、「同意」などありえましょうか! たとえ男の暴力や動画拡散の恐怖などで抵抗しきれなかったとしても、それは「同意」とは天と地ほども違います。
この「同意」論は、どんな裁判でも加害者が使う卑きょうな常套手段です。差別者の武器です。命がけの告発をしている被害女性が「同意」などするわけがないのです。それを見抜けない裁判官に人を裁く資格などありません! 差別司法は瓦解すべきです! 被害者がおとなしく従い屈服しないことを権力者は許せないのでしょうか。家父長制という支配構造において、被差別者が意思表示することは支配の崩壊につながるという恐怖が、権力者の思想の奥深くに確固として居すわり、時に歯を向けるということでしょうか。(朽木野リン)
