
「慰安婦、軍・官憲が加担」
石破首相は、1945年8月15日、帝国主義国日本の敗戦から数えて80年、「國体」の犠牲となった沖縄戦終結から80年の今年、これまで10年毎に出されていた「首相談話」を放棄する、見送る意向を固めたという。1993年、宮沢内閣の官房長長官だった河野洋平は、日本皇軍性奴隷の「慰安所」について、「当時の軍当局の要謂により設営された」もので、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」と言い、日本皇軍性奴隷の募集は「軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」「官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と結び、「従軍慰安婦問題」についての政府の調査結果に関する談話とした。河野談話である。
「植民地支配を反省」
1995年、村山首相は8月15日の「敗北の日」に、戦後50年談話として「(抜粋)わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。(中略)疑うべくもない、この歴史の事実を謙虚に受け止め、ここに改めて痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします」と談話を発表した。いわゆる村山談話である。
「直視し、美化」
戦後60年談話として、小泉首相は「改めて今、私たちが享受している平和と繁栄は、戰争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないと決意を新たにするものであります」「戦争への反省を行動で示した平和の六〇年」「過去を直視して、歴史を正しく認識」などと強調した。ことばとして「反省」と言いながら、実際には侵略戦争を正当化し、さらには美化する靖国神社参拝を実行し、「平和の六〇年」を裏切ってきたのが、小泉首相であった。
「美しい国 日本」
安倍首相の戦後70年談話は、どうであったのか。冒頭に「日露戦争は、植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と述べ、反省や謝罪などは一切ない。この認識は安倍首相に限らず、長年にわたって日本人に広く共有されてきたものであるが、日露戦争とは中国東北地方(満洲)の覇権をめぐる戰争であった。日清、日露戦争は、日本が近代へと向かう始発点となり、当然のように連続したものである。
朝鮮は日露戦争の兵站基地として日本に軍事占領され、外交の自圭権を剥奪され「保護国」とされ、それが後の「併合」と直接つながった。抵抗した朝鮮人民、民衆は無残にも殺戮された。日露戦争は、朝鮮植民地化戦争の一環であった。日露戦争を引き合いに、公然と自国を美化、「美しい国」としたのである。
ましてや、北海道(アイヌの地)、琉球(沖縄)、台湾に対する征服と支配については一言の「お詫び」も「反省」もない。また、西洋諸国から押しよせた植民地支配の波への危機感が、日本にとっての「近代化原動力となった」とも述べている。安倍首相が反省したのは、第一次世界大戦後、世界恐慌と欧米諸国による経済ブロック化の中で、日本が「新しい国際秩序」への「挑戦者」となって進むべき道を誤ったとしたが、欧米帝国主義列強に挑戦者日本となって申し訳なかったということに過ぎない。植民地支配と侵略戦争に向けた「反省や謝罪」などではあり得ない。いけしゃあしぁあと、「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」と述べた。
日本軍性奴隷制への言葉であろうが、誰が傷つけたのか主語が隠された「忘れてはなりません」は、誰が誰に向かって教えているのか。そして、ぬけぬけと言うのである。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べる。若い世代を国家の共犯に引き入れ、「謝罪を続ける宿命」を追わせているのは、日本政府そのものであり、さらには一つの国と国民が他民族を侵略し、レイプし虐殺したという道に向かって若者を導き入れようとしているのは、安倍政権そのものではなかったか。

安保関連法、軍事費を拡大
戦前、帝国主義国日本は侵略戦争と植民地支配の中で、朝鮮・中国・アジア人民を日帝支配の下に組みこみ、すさまじい民族抑圧と差別を強いてきた。戦後は、それらの責任をいっさいとらず、むしろ日本国籍を剥奪することを通して日本国憲法のらち外に置き、人間的権利を奪ってきた。帝国主義国内における、形を変えた植民地支配そのものである。
その安倍首相談話に多くの日本人が同調し、「おわびの表現として適切だ」「評価する」と回答した。このような事態が、安倍首相70年談話を引き継ぎ、「戦後80年」においても続いている。戦火のただ中にあるウクライナのゼレンスキー大統領は「第3次世界大戦のリスクを高めるよりも、ウクライナの支援を。その方が安上がりだ」と述べ、理想論より具体的に軍事支援を訴えたことがある。さまざま「強者の思想」が跋扈している。
安全保障関連3文書に基づき、日本の軍事費は抜本的に強化されている。2025年度の防衛関連予算は、GDP比1・8%に上昇し、政府が27年度の達成をめざす「GDP比2%」に近づきつつある。「同盟国への攻撃を自国への攻撃」と見なし、報復する意図を示すことで「第三国に攻撃をためらわせようとする拡大抑止」という、安全保障上の考えがいつのまにか支持を広げているようだ。「敵基地先制攻撃」などの策定に余念がない。
過去の戦争を検証 九条とともに
「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」の規範的な要素とする平和憲法など、まるで邪魔者扱いである。名もなき者、力なき者、貧しき者たちのために、私たちは行動したことがあるのだろうか。「戦争状態は、人間の行為そのものに影をおとす」とすると、今がそうではないのか。「他者の痛み」を感じ取ることほど難しいことはない。貧困、差別、暴力からくる痛みを、我がこととして悩みきるのは容易なことではない。「倫理ある資本主義」「成長と分配」を基本とする「新しい資本主義」など、とてもではないが信じることができない。
戦争の危険は増大している。かつての戦争と、これから起きるかもしれない戦争の関係を知る必要がある。決して幻聴ではない。戦争の足音が、ますます大きく聞こえる。非核三原則を事実上死文化させ、もっとはっきりと「戦術核保有」「核の共有」を唱える者も現れてきた。憲法九条を、多くの人が語らなくなった。
安倍首相は70年談話で、侵略戦争責任を放棄し、私たちの子や孫、先の世代の子どもたちに「戦争責任を引き継いではならない」と、「謝罪を続けるJことに永久に決別した。とんでもないことだ。戦後80年を向かえる今、決して忘れることなく、子々孫々までも語り継ぎ、消し去ってはならない。
(嘉直)
