韓国中央情報部(KCIA)の本拠地だったソウル・ユースホステル=ソウル市中区

反共・反北朝鮮イデオロギーの構造化
韓国・中央大学のキム・ノリ教授は韓国社会を評して次のように述べています。「制度のとしてのファシズムはなくなったが、軍事独裁ファシズムが韓国社会に刻んだ『ファシズムDNA』は清算されていない」と。
韓国は1987年に民主化されるまで、イ・スンマン、パク・チョンヒ、チョン・ドファンによる独裁政治が継続しました。これらの独裁政権の下で反共・反北朝鮮イデオロギーが韓国の支配的なイデオロギーになりました。そのイデオロギーが構造化されて反共・反北朝鮮体制が形成されてきたのが解放後の韓国の歴史です。
イ・スンマン政権で権力機構のトップにたったのが内務部治安局です。これは警察です。民主化以降は、これが行政安全省の外庁である警察庁に移管されたため、韓国の権力機構のトップに警察は立っていません。
パク・チョンヒ時代に権力機構のトップに立ったのは中央情報部です。中央情報部はその後、国家安全企画部、国家情報院と名称を変更しました。国会情報院法が改正され、施行されれば国内捜査権がなくなります。国家情報院が強大な力を持っていたのは情報収集能力にプラスして捜査権を持っていたからです。民間人を逮捕できたのです。対共捜査権がなくなれば、国家情報院は単なるインテリジェンス組織に変わります。
チョン・ドファン時代に権力のトップにあったのは国軍保安司令部です。国軍保安司令部の本来の役割は、軍によるクーデターが起きないように監視することでしたが、チョン・ドファン時代は、軍を監視するだけではなくて、民間人を逮捕し、拷問を加えてスパイ事件をデッチ上げるなどをしていました。国軍保安司令部はその後、国軍機務司令部に名称を変え、現在は防諜司令部になっています。
独裁政権は民主化運動に参加した人たちに過酷な拷問を加えていたのですが、その代表的な場所が第5局の地下室です。こうした場所で令状なしに連行した人びとに拷問を加えていました。

権力機関のトップに立った検察
しかしこうした独裁政権時代の権力機関のトップは民主化以降、その権限を縮小されてきました。そのため韓国の中で相対的に力を増して権力機構のトップに立ったのが検察でした。検察は行政機関であって司法機関ではないのですが、準司法機関とみなされて検察だけは改革されませんでした。独裁政権時代の検察は、中央情報部や国軍保安司令部の手先でした。しかし中央情報部や国軍保安司令部が権限を失ったために、今や韓国の権力機関のトップには検察が立っているのです。
検察は政治にも重大な影響を及ぼしています。これは「キャビネット政治」と呼ばれています。検察は韓国の政治家たちを日常的に監視していて、いつでも立件できる証拠をキャビネットの中に持っているという意味です。また、韓国では法曹人が国会議員の20%と多数を占めています。その背景には韓国の権力機関のトップに検察が立っていることがあるのです。
私はユン・ソンニョルが検事総長から大統領選に出馬したとき、それに反対する理由として二つあげました。一つ目の理由は、昨日まで「政治的に中立だ」と言っていた人間が、数年間のインターバルを置くのならいざ知らず、即大統領候補になるということは検察の中立性を自ら否定することになるからです。二つ目の理由は、検察官からそのまま大統領になったとすれば、その大統領は無能であるからです。大統領は司法だけではなくて、外交、経済、福祉などのあらゆる分野を経営しなければならないのであって、検察官としての経験しかない人物にはムリです。実際にその通りになっているわけです。

思想・結社の自由が担保されていない
大韓民国憲法は第一条に「大韓民国が民主共和国である」「大韓民国の主権は国民にあり全ての権力は国民から生ずる」と謳っています。私はこれを誇りに思っています。ところが韓国憲法は思想の自由を完全に保障していません。それが憲法第八条では第一項で「政党の設立は自由であり、複数政党制は保障される」とあるのですが、第四項で「政党の目的又は活動が民主的基本秩序に違背するときには政府は憲法裁判所にその解散を提訴することができ、政党は憲法裁判所の審判により解散される」と定めています。つまり、韓国憲法では結社の自由が担保されていないのです。実際に韓国では統合進歩党がこの条項によって解散させられました。
もうひとつは国家保安法の存在です。国家保安法は1948年10月19日、済州島4・3蜂起を鎮圧するために出動命令が下った全羅南道麗水郡駐屯の国防警備隊第14連隊が反乱を起こした事件をきっかけに、南朝鮮労働党や左翼勢力など反イ・スンマン勢力を除去することを目的として、1948年12月1日に公布・施行されました。国家保安法の最高刑は死刑です。
その第一条では、「この法律は、国家の安全を危うくする反国家活動を規制することによって、国家の安全と国民の生存及び自由を確保することを目的とする」と謳っていますが、「反国家活動」とは何かを規定していません。このようなあやふやな概念で、最高で死刑にできるのです。この法律によって韓国は思想の自由も完全に担保されていません。

「私は共産主義者ではない」―レッド・コンプレックス
また韓国では、議会、学校、スポーツの試合、各種行事などで「国民儀礼」を行います。これは1972年に文教部が制定し、1984年に大統領令で定められました。「国民儀礼」とは、国旗に対して敬礼し、「私は誇らしい太極旗の前で、自由で正義のある大韓民国の無窮なる栄光のために忠誠を尽くすことを固く誓います」という言葉が流されます。その後、英霊に対する黙とうが行われます。昨年、野党・共に民主党がユン・ソンニョル弾劾集会を開催したときも最初に国民儀礼が行われました。
国家保安法がある韓国において、そして反共・反北朝鮮イデオロギーが構造化している韓国では、「私は共産主義者ではない」ということを示す「レッド・コンプレックス」が支配しているのです。だから民主党も「自分たちは共産主義者ではない」という証(あか)しとして、ユン・ソンニョル弾劾集会の最初に国旗に敬礼、国歌斉唱をするのです。市民団体はやりません。「民衆儀礼」に変えているのですが、これは極めて少数です。
さらに韓国では1994年に廃止されるまで、小学校一年生から「国民教育憲章」を覚えさせられました。憲章には次のような一文があります。「反共民族精神に透徹した愛国民族が我らの生きるべき道であり、自由世界の理想を実現する基盤である」。これを暗唱させていたのです。これは戦前の日本の教育勅語です。
韓国の民主化運動の元老で、50年をこえる歴史を持つカトリックの正義具現司祭団の創設者でもあるハム・セウン神父が最近のインタビューで次のように語っていました。彼は1965年にローマに留学します。8年間の留学を終えて1973年8月にソウルに戻ってきました。当時は前年72年10月の維新クーデターによって維新憲法下にありました。そのとき彼はソウル駅で、中学生や高校生が「反共決起大会」の行進をしている姿を見て衝撃を受けたそうです。「国民教育憲章」は廃止されたとはいえ、民主化された後も数年間続いていたのです。
しかも韓国は現在も徴兵制です。徴兵が終わると在郷軍人会に入ります。韓国では反共団体である自由総連盟がすべての地域に組織されています。2005年まで韓国の軍隊は「内務班」という言葉を使っていました。「内務班」とは旧日本陸軍の制度です。韓国の若者たちは2年間こうした家父長制的な軍隊の中で、「北朝鮮は主敵」という教育を受けています。
このように見てくれば、韓国が民主化された87年体制の下でも、反共・反北朝鮮イデオロギーが韓国社会の中にがっちりと構造化されていることを確認せざるを得ません。(つづく)