「戦争させない、9条壊すな!5・3兵庫憲法集会」が開かれた(三宮・みなとの森公園)。約2000人が集まった。川口真由美さんの反戦歌、平和の歌でスタート。総がかり行動兵庫、9条の心ネットワークの羽柴修弁護士が「パレスチナやウクライナへの攻撃、戦争など、世界は惨劇が続いている。厳しい現状に、憲法9条を守るよう頑張っていきましょう」とあいさつした。

畠山澄子さんがスピーチ
メインスピーカーは畠山澄子さん(ピースボート)。畠山さんの講演が、とても良かった。30代後半という若い世代が、ピースボートに乗り世界を巡るなか、どのように考え変わったか、畠山さんは、次のように話した。
――ガザでも、ウクライナでも、戦争の犠牲者は5万人を超えたと言われる。通訳ボランティアだと無料で世界を1周できる、19歳でピースボートに乗った。回を重ねるうちに、ガザやウクライナなど戦地にある人たち、戦争の傷跡を残す国の人たちと、日本で平和に暮らす自分と隔たるものは何であるのか。自問の日々だった。

戦争の被害、加害、苦しみ
船で働いていたウクライナの青年は、お兄さんが戦死した。その青年と、何不自由なくピースボートに乗船する私との耐えられない対比。何を求めているのか煩悶、自問する日々だった。元日本軍兵士だった人が、「アジアの人々に謝罪したい」と乗船したが、港に到着した時、「何も言えなくなって下船できなかった」と話した。
戦争の加害者も、戦争の被害者であることを突き付けられた。カンボジア内戦による地雷の撤去活動では、400万発の地雷がいまだ撤去できていない。大勢の子どもたちが、今も地雷で足や手をなくしている。ベトナムでは、枯れ葉財で苦しむ子どもたちが、戦争が終わっても後遺症に苦しみ。戦争の傷跡が長く、長く残る。

ピースボートの旅から
ヒロシマ・ナガサキの被爆者の人たち100人を、世界に反核・平和をアピールする旅に参加してもらうプロジェクトに、4カ月いっしょに乗船した。自分の身体が蛆まみれになり、お母さんに取ってもらった時の惨めな気持ち、何度もガンになり「どうして普通の子に生まれてこなかったのか」という被爆者の苦しみを英訳し訴える。「その行為をとおし、自らの人生の航路(平和のための活動)を決めた」――。
心にズシンと来た。ピースボートの平和活動を通し、畠山さんのような若い活動家や研究者が大ぜい、生まれてくる。スピーチを聞いた人は、大きな希望を感じたのではと思った。高校生平和大使の2人からも、アピールがあった。
集会の後、元町までデモ、パレード…。市民デモHYОGОも約30人が並び、横断幕を掲げ「戦争反対!憲法9条を守れ!」とコールした。
3日の地元紙、神戸新聞に「被爆80年・戦後80年」「憲法は、あなたの命と未来のサポーター」と、1674人・365団体の賛同による意見広告が掲載された。全国各地で、平和憲法の実現を訴える集会やデモ、パレードが行われた。(啓)