
5月4日、第七芸術劇場で『太陽(ティダ)の運命』を観てきました。2時間10分を超える大作、息を呑むような感じで見入りました。上映後、佐古忠彦監督のスピーチもあり、立ち見も出る盛況でした。5月23日まで上映確定、続映もあり得るとスタッフに聞きました。神戸元町映画館、京都シネマでも上映中。ぜひ観てください。 ティダ=太陽ですが、「リーダー」という意味を持った言葉でもあったそうです。大田昌秀と翁長雄志という、二人の知事の生い立ちと生涯をかけた、たたかいを沖縄―日本の現代史を俯瞰しながら、「日本にとって沖縄とは何か」を問いかける映画でした。 5月3日、沖縄での改憲派集会で自民党・西田議員による「ひめゆり」の歴史の真実を歪曲し、抹殺する発言があったそうです。2007年、日本軍による住民への強制集団死の歴史を削除させた「教科書検定問題」と同じだと思いました。
尽きることなき民衆の力
この映画の中で、検定に抗議する県民大会(県内の全政党、全自治体、労組、市民、11万6千人が結集)において、自民党で那覇市長だった翁長さんが、全市長の代表として怒りの発言をしている姿が映されました。翁長さんが、後の「オール沖縄」のスタンスに変わっていったのは、この問題からだとおつれあいが語っています。
『ニュースレター』5月号で、名護の篠原孝子さんが「(尽きることのない沖縄民衆の力はどこから来ているのか)その理由は、この映画を見ればわかる」と書いておられますが、人それぞれでしょうが、その通りでした。

沖縄県民のアイデンティティ
テーマ音楽として何度も流れる1975年に生まれ、広まった歌『艦砲ぬ喰ぇ~残さ~』(艦砲の喰い残し~みんな沖縄戦から生き残ったもの)が、大田知事にとっては大切な歌だったとか、翁長さんが知事に当選した夜、おつれあいに「政治も司法もだめだ。闘い続けるのみ。それを全国民に見てもらう。たたかいが踏み潰されるところも見てもらう」(注/言葉は正確ではない)と言われこととか。
政治的に相反する立場だった二人をつなぐ車輪の軸は「沖縄戦」であり、それを絶対にないものにはできないという県民のアイデンティティではないかと思います。
「日本人は醜い—沖縄に対しては」、この言葉は1969年、施政権返還前の大田さんの著書『醜い日本人』の冒頭にある言葉だそうです。大田知事は「日本にとって沖縄は何か」と問い続けました。翁長知事は「うちなーんちゅ、うしぇてぃ なびらんどー」(沖縄の人々をないがしろにしては、いけませんよ)と言っています(2015年5月17日、戦後70年、止めよう辺野古新基地建設県民大会での発言)。
戦争、軍隊、安保、人権
印象に残ったのは、戦争、基地、軍隊の暴力―日米安保体制を「人権」の観点から考えているところです。大田知事は少女暴行事件の時、「少女の尊厳(人権)」が侵されたと糾弾し、翁長知事は辺野古問題を「沖縄の人々への人権侵害だ」とし、ジュネーブの国連人権委員会でアピールしています。
佐古監督は、「日本全県の中で、沖縄県知事ほど苦悩をかかえる人はいない」と言っていました。実際、大田知事が「(軍用地強制使用をめぐる)公告開示代理署名」問題、「普天間基地返還―代替基地」問題で政府に裏切られ、怒り、悩み、苦渋の選択をせざるを得なかった姿や、翁長知事が辺野古基地の県外移設、公有地埋め立て承認撤回をめぐる政府・司法と命を削ってたたかい続けた姿が、映し出されます。なんども涙を押さえられませんでした。
私が初めて沖縄へ行ったのが1986年。その後、さまざまな場面に参加しているのですが、表層しか見ていなかったのではと思い知らされました。
「あなたにとって沖縄とは何か」という問いは、私に向けられています。(新田蕗子)
