新安保ガイドライン 署名運動
岩井健作さんの訃報が届いた。広島、岩国、神戸、鎌倉と長く牧師を務め、体調を崩されてから群馬のキリスト教系介護施設に。91歳だった。岩井さんと、さまざま行動を共にしたことを思い起こし、追悼の意を表したい。
岩井さんと知り合ったのは、1998年、後の日米新安保法体制などの始まりともなった、日米新安保ガイドラインが問題になったときから。それに抗議する大署名運動を行なうことになり、「呼びかけ人」になってもらうようお願いに行った。市民運動などの署名と言えば、それまでせいぜい数百から数千筆くらい。数10万から100万筆を集めようということになり、途方にくれた。
そのとき、あるキリスト者の女性から、「それなら兵庫では、岩井先生に呼びかけてもらえれば…」と言われた。キリスト教にまったく縁も知識もなく、岩井牧師に面識もない。いきなり神戸教会を訪ねお願いした。岩井さんはじっと話を聞きながら、なぜか1分ほど考えたあと「わかりました。これは平和が揺るがされる大問題、やりましょう」と返事をされた。岩井さんの呼びかけから、次々と呼びかけ・賛同人が拡がった。
1年近くに及んだ署名運動。毎回の街頭署名には数10人が署名板を持ち、路上に机を連ね呼びかけた。多いときには大丸デパート前の交差点に50人もが署名板を持ったほど。宣伝カーを回し全県キャラバン行動をとりくみ、労組や諸団体にも要請に回った。阪神間のJR、阪神、阪急など約120の駅前もそれぞれ数回、駅前署名を行なった。政党や組織のしがらみを超え、署名運動は拡がった。岩井さんをはじめ、幅広い呼びかけ人の参加とアピールがあってのことだった。

30秒の黙考
後に、「やりましょうと言われる前に、数十秒黙考されたのは、何だったのでしょう」と聞いたところ、「話を持ち込まれたのは、“極左”と言われる人。それを知らない人は、いませんでしたからね」と笑いながら…「もっとも、過激と言うならキリスト教の方が上ですよ。キリスト教、宗教は血で血をあらう戦争の歴史でしたからね」と、穏やかに話された。宗教、キリスト教に素養のない私は、「そうですか~」と、のん気なもの。それが運動を共にしてもらった始まりだった。
その後、岩井さんは兵庫の反戦・市民運動に、淡々とかつ熱心に参画した。多忙のなか、毎月の会合や、集会などに50ccバイクで駆け付け、何度か東京での全国会議にも参加してもらった。会合の場などで「岩井さん…」と呼んでいると、くだんのキリスト者の女性に、「岩井先生ですよ。キリスト教会では、知らない人はいない、大変に尊敬されている方なのに」と戒められた。岩井さんは、「岩井さんでいいですよ」とあっさり。どんな人にも寄り添う心を持ち合わせる人であり、学ばせてもらったことは多かった。

引退記念の「説教」は安倍批判
牧師を引退されるとき「最後の説教」があり、神戸教会の講堂に多くの信徒さんが集まった。私も一度は説教を聞いておかなければと、教会に行った。岩井さんの「最後の説教」は、キリスト教や信仰のことに触れるどころか、当時の安倍政権への厳しい批判に終始した。それを穏やかな、上品そうな信徒さんたちが、静かに熱心に聞いていた。
牧師を引退した後、お連れ合いの鎌倉の実家に移られた。インタビューに訪問したことがある。多くの信徒さんの信頼、尊敬を受けてきたことが、岩井さんの一言ひとことに詰まっていた。

キリスト教イデオローグ
インタビューから、ごく一部を引用してみる。「56年の牧師、教会の毎日を終えられた、お気持ちは」と訊ねると、いきなり「私は駄目な牧師でしたね」と返された。牧師になった若いころ、年配の女性の信徒さんに「あなたは、キリスト教の家に生まれ、2代目の牧師さん。キリスト教、信仰のことはくわしいでしょう。でも、私たちは日々、家庭や社会の矛盾に押しつぶされそう。救いを求め洗礼を受けたのに。あなたは、けっきょくキリスト教イデオロギーの人ですね」と言われたとか。
岩井さんは、「キリスト教という自負が駄目。人は、さまざまつながって生きている。それを思い知らされましたね」と語り始めた。若いときに赴任した岩国教会のころ、「反戦」米兵の脱走を助ける運動(注)に参加した。20歳そこそこのアメリカの青年たち。ベトナムで殺し殺される彼らは、「兵士である前に、人間でありたい」と、捕まれば厳罰を覚悟し軍隊から逃げようとする。そのとき岩井さんは、「世界も棄てたものじゃないと思った」と言う。

三角から丸の思想へ
沖縄の問題は、単に「犠牲にした」のではない。「基地を押し付け知らんふり」「単なる犠牲ではなく、その在責としての自覚を思った」と岩井さん。「キリスト教も、いわゆる左翼も嫌でしたね」「宗教・キリスト教と、左翼は似ている。自分たちに合わせ“枠で囲う”」「三角でなく、丸の思想が大事。三角は必ず底辺があり、頂点がある」「三角を壊し、丸の共同性をどう作るのか」「キリスト教も、一つのイデオロギー。私も若きイデオローグでした」「聖書を批判的に学び、生きてきたつもり。しかし、それにしてこのありさま。遅々たる歩みですよ」。
キリスト教の何たるか、いまも私はまったく疎い。岩井さんと出会い、大げさに言えば「人は、どう生きるか」を少しは学ぶ機会があったのに、いささかも身につかなかった。もう話すことはできない。心から、お礼と追悼の意を表したい。(竹田雅博)
*(注)JAТEC(反戦脱走米兵援助日本技術委員会)*絵は「沖縄、座喜味城跡から見た米軍楚辺通信所」(岩井健作・画:2000年7月)