昨年3月に兵庫県の斎藤元彦知事を部下の県民局長が内部告発する文書が明らかになって以降、同知事の対応をめぐり二転三転して揺れ動いてきた兵庫県政が、いま再び大きなヤマ場を迎えようとしている。
県議会が全会一致で斎藤知事の不信任決議を可決し、知事失職に伴う知事選では大方の予想に反して異様なSNS選挙と誹謗中傷が飛び交う中で斎藤氏が再選したものの、選挙直後から斎藤陣営の選挙違反容疑が相次いて表面化した。
一方、斎藤氏のパワハラ疑惑や公益通報者保護法上の違反行為が、この3月に県議会の百条委や県が設置した第三者調査委員会が公表した報告書で相次いで“断罪”された。にもかかわらず、知事は自らの過ちを認めることなく、当初からの姿勢と見解を変えず言い逃れに終始する対応を続けている。
すでに県議会の一部や県職員の中には「知事の辞職」を公然と求める声や、これ以上の県政の漂流に危機感を表わす声も上がっている。しかし、兵庫県政漂流の問題は斎藤知事個人の問題を超えて、選挙や自治体運営のあり方を根底から揺るがす問題を内包しているからこそ、全国から注目されている。兵庫県政漂流の根っこにある問題を明らかにし、市民や県民がどのように対処するべきかについて考えてみたい。

斎藤県政の混乱が始まったのは4年前の知事選から
斎藤知事をめぐる兵庫県政の混乱が始まったのは、メディア等の報道では昨年3月の元県民局長による知事のパワハラなどを内部告発する文書をめぐって、同知事が「うそ八百の誹謗中傷文書」として、いきなり懲戒処分にしたことから―としている。しかし、斎藤知事問題の根源は、4年前の2021年7月の知事選で自民党や維新が政治的思惑から斎藤を担ぎ出したことから始まっていることについて、この1年余の流れの中ではあまり目を向けられていない。
5期20年に及ぶ井戸県政の刷新を口実にして、兵庫県への勢力伸長を画策していた大阪維新を利用し、当時の安倍・菅政権が政権延命を図る手段として介入したことが、斎藤県政誕生の発端であったことが忘れ去られている。

維新の兵庫進出と安倍・菅政権の延命工作に利用された斎藤擁立
知事としての資質と能力を欠いた斎藤を知事に付けて、維新は大阪万博に兵庫県を引きずり込むとともに、兵庫の自治体選挙への浸透が難航していた局面を一気に打開しようと目論んだ。維新と蜜月になっていた安倍政権を引き継いだ菅政権は、自民党への厳しい風向きを乗りきるために、維新との関係を強固にするため知事選を利用した。その先兵となったのが、当時の自民党兵庫県連会長だった西村康稔(元経産相)であり、非維新で井戸後継の金沢和夫・副知事支持に大勢が傾いていた自民党県会議員団の方針をひっくり返し、斎藤推薦を強引に決めた。
この結果、自民党県連は所属国会議員全員と自民党県議団から分裂した斎藤支持派と、従来通りの枠組みで金沢を支持する分裂選挙になった。
2015年以降の「市民と野党の共闘」を兵庫の国政選挙で取り組んできた市民団体「連帯兵庫みなせん」は、当時この知事選の最大の焦点は「維新に県政を渡さない」「中央政党による中央集権的県政支配を許さない」ことを訴え、立憲野党各党の県組織に対して「反維新」で一本化するように呼び掛けた。

「反維新」の結集立ち遅れ、斎藤県政による“井戸色一掃”の側近行政
兵庫県政は長らく、自治省・総務省出身の知事が続き、共産党を除く全ての政党が連合等の労働組織も一緒になって支えてきた。井戸県政もその流れには違いないが、「地方分権の旗手」とも言われた前任の貝原俊民知事以来、中央政党の県政支配を牽制しながら関西広域連合などを動かしてきたのも事実である。これに対して大阪維新は、府市で絶対的な勢力を築くとともに、2度にわたって住民投票で否決された「大阪市廃止」(大阪都構想)の“党是”を強引に推し進めようとしたことや、医療・保健、福祉、教育・文化、交通や水道などの公共サービスを、「二重行政の廃止」や「行政のスリム化」を掲げた「行政改革」の名のもとに、統・廃合、廃止、削減、民営化、職員削減を推し進めてきた。
こうした維新政治の兵庫への進出を許してはならないというのが、私たちの大きな危機観だった。これに対して当時の野党は、知事選に初めて対応する立憲民主党はじめ国民、社民、新社会も当初は金沢支援には距離を置き、第三の候補擁立を模索していた。“本命”とした泉房穂・明石市長(当時)が4月初めに立候補を否定した後も、なお独自候補擁立を模索していたが、5月下旬になってようやく「維新県政を阻むために金沢氏を全力で支援する」ことを立憲民主党はじめ国民、社民、新社会もほぼ同じ立場で歩調をそろえた。これまでの知事選でも「唯一の野党」として独自候補を擁立してきた共産党は、この時も独自候補を擁立し「自民と維新の相乗り候補は金沢氏と大差ない」と両候補を同列に置いたこれまでと同様の県政批判に徹した。
結果は25万票の差をつけて斎藤圧勝に終わり「維新県政」が実現し、その後の県政運営では「井戸色の一掃」と万博支援など大阪維新への同調が目立つ対応が続いた。元県民局長の内部告発でも明らかになったように、県政運営は斎藤が総務省時代に宮城県に出向していた当時に仲良しになった“牛タンクラブ”と言われる一部職員を中心とした「側近県政」に陥り、「旧弊を改め、県政を前へ進める」というキャッチフレーズとは裏腹に県政の停滞と混乱が続いていた。

斎藤を背後で利用する勢力と知事の椅子への執着
内部告発から始まったこの1年余の展開は、斎藤県政への“不満のマグマ”が限界に達して噴き出した現象でもあるが、県議会や県職員の批判にも耳を傾けず、前代未聞の選挙で返り咲いた知事の椅子にしがみつく状態が続いているのが、現在の状況と言える。いや、斎藤個人というよりも、斎藤を知事の座につけておくことによって県政を思うがままにすることを目論む勢力によって斎藤再選を支援し、その後の斎藤県政の継続を良しとする勢力が根強く存在していると見るべきであろう。
こうした勢力は、昨年11月の知事選でも自身は表に出ず(出られず)、その勢力につながる人脈がN党の立花や旧統一教会系とつながる人脈等を使い、折からのSNS選挙による“選挙ジャック”を支えてきたというのが、現時点で明らかになりつつある「斎藤逆転再選」の真相であろう。
県議会の百条委員会が斎藤告発文書を「一定の事実」として認定し、知事のパワハラと公益通報者保護法違反の可能性を総括した報告書を提出、可決された直前の2月末には、百条委の副委員長や委員だった2名の維新県議らが、昨年の知事選が始まる直前にN党の立花に百条委の非公開情報等を提供し、それをもとに立花の違法な個人攻撃、誹謗中傷が公然と始まり、選挙情勢の流れを変えた事実も明らかになった。
2名の維新県議は、加担したもう一人の維新県議とともに維新から除名、離党勧告処分を受けると、いち早く斎藤を支援する新会派を結成すると同時に地域政党「躍動の会」を立ち上げて、参院選や自治体選挙で候補者を擁立し斎藤県政支援の勢力拡大へ公然と動き始めている。

中央政党による中央集権的県政支配からの脱却めざす
もう一度、4年前の知事選に立ち戻ろう。当時この知事選の最大の焦点は「維新に県政を渡さない」「中央政党による中央集権的県政支配を許さない」ことにあると訴え、立憲野党各党の県組織に対して「反維新」で一本化するように呼びかけた、と書いた。残念ながら、この選挙では斎藤が85万票余を得票し、60万票の金沢に大差をつけ、共産党ら3人の候補に40万票近くが分散して斎藤県政が実現した。その後の斎藤県政のお粗末さに、4年後を待たずにどこかで繰り上げ選挙になると“希望的観測”も含めて予感していたら、内部告発文書から百条委につながり、約1年の繰り上げ選挙になった。
百条委による知事の証人喚問等が続く中で、8月ごろから市民による「斎藤辞職」を求める集会やデモが始まり、県議会で不信任決議が俎上に上がる9月には市民運動サイドからの辞任要求集会等が一段と高まった。9月は、岸田政権の退陣表明を受けて自民と立憲民主党の党首選が行われる中で、石破政権の発足と衆院解散など慌ただしい動きと並行して、9月19日には斎藤知事不信任決議が県議会の全会一致で可決され、斎藤失職に至った。
こうした展開の中で「連帯兵庫みなせん」は10月14日、総選挙と県知事選へ向けてアピールを発表した。野党が競合したまま突入する衆院選兵庫選挙区では「市民と野党の共闘」の可能性はなくなったが、選挙区と比例区で野党議席の最大化を図るとともに、公正な政治を歪めてきた“裏金議員”を当選させないように一人ひとりが行動するように呼びかけた。
他方、知事選については兵庫県政始まって以来という重大な局面に立っていることを強調した。一つは、知事自らが犯してきた数々の疑念や全会一致による不信任決議への反省の色もなく自らを正当化して再出馬を表明した「斎藤再選」を許してはならないと同時に、もう一つの重要な意味を持つ選挙だと訴えた。

60年余続いた中央官僚出身知事と“県政与党体制”への決別
兵庫の知事選では長らく、連合兵庫が主導する「5党協」路線で、共産党を除く自・公・民がそろって現職または後継候補を支援してきた。その結果、62年間にわたって自治省・総務省出身の知事が続いており、選挙に際しては自民党をはじめ多くの政党が推薦して、本来は国政から自立しておかねばならない地方自治を国政政党が牛耳る選挙を繰り返してきた。今回の知事選ではこの構図が初めて崩れることになった。
選挙では7人が立候補したが、共産党を除いて国政政党が推薦する候補がなく、県政史上画期的な知事選になろうとしていた。さらに政党の支援を求めない、無所属市民派の政治家として県議や尼崎市長を延べ20年にわたって経験してきた稲村和美・前尼崎市長が市民団体の要請を受けて立候補した。稲村氏が県政を担うことになれば、兵庫県で初めての女性知事になり、知事としては全国的にも希少な「無所属市民派」の知事が誕生することになる。
自公政権が末期的症状を示している中で、この国の中央政治もようやく次の時代への光明を見出す希望が生まれている。そのためにも、この国が地方分権システムに移行してから25年目の節目の年に、中央政党の軛(くびき)から脱した本来の地方自治体「兵庫県」を実現する千載一遇のチャンスであることを訴えた。連帯兵庫みなせんは、ここ数年、国政の絶望的な状況を前にして「市民主体の地方自治」再生から、この国の変革と民主主義の再構築を図ろうと呼びかけてきた。そのチャンスが兵庫県知事選に巡ってきている。稲村県政の実現がその大きな一歩になると呼びかけた。
知事選が告示された時点では、県議会の自民、公明も含めて、共産党を除く多くの議員が稲村県政の実現を支持していた。選挙戦に入ってN党立花の“二馬力選挙”や異様なSNS選挙のうねりに危機感を感じた県内の市長会が22市の市長の連名で異例の「正常な選挙と稲村支持」を表明する動きもあった。告示時点では稲村が圧倒的に優勢な情勢で始まったが、選挙戦中にまさかの大逆転になり斎藤が15万票余の差をつけて再選してしまった。

局面を打開するのは市民か、県議会か、司法かが今後の県政に影響
3年に及ぶ県政の停滞と混乱に終止符を打つはずだった繰り上げ知事選が「よもや」の結果に終わったが、市民主体の地方自治を兵庫県からスタートさせるチャンスは先送りになった。それどころか、選挙から半年を経て県政の漂流はますますひどくなり、先行きは見えていない。知事と県職員の深い溝も、亀裂が生じたままだ。
多くのマスメディアが筆をそろえて「斎藤知事の居座り」を批判し、「知事の資質」への否定的な論調を重ねているのに対し、自らの正当性を主張することしか発しない知事への絶望感は、県庁内だけでなく県民にもじわじわと広がっている。「斎藤糾弾」や「即時辞職」を求める市民団体の動きと、二度目の不信任決議に躊躇する県議会多数派の逡巡。斎藤陣営の選挙違反容疑で数々の告訴、告発を受けている県警や地検の対応にも注目が注がれている。
漂流する県政に、どの主体がストップをかけるのかによって、ポスト斎藤以降の展開にも大きく関わってくる。(完)