
高額医療制度改悪
政府は高額医療制度の改悪を、今年8月スタートと発表したが、病気に苦しみながら辛うじてこの制度で生命を維持している人びとの怒りの行動を受けて、一旦凍結とした。
高額医療制度とは、1カ月間にかかった医療費の自己負担額が高額になった際に、一定以上の限度額を超えるとその分が払い戻される制度である。その限度額は年収によって違うが、「例外なく引き上げる」が政府方針である。例えば年収200万円の人は5万7600円が限度額だが、それを1万2300円引き上げて、6万9900円にしようとしている。年収200万円とは月収にすると16万円強であり、この16万円強の安月給から医療費が高額になった場合には、現行でも5万7600円までは払わなければならない。家賃、税金、保険料、食費 …… 現状でも生活困難であるのに、限度額が一挙に6万9900円となると全く生活できないのは明らかだ。国は一方では「少子化で国力減退を憂う」などと言っているが、そもそも国は労働者に結婚や育児ができるような分配を行っていないではないか。
トリクルダウン理論は破綻して誰も今や語らないが、前提となる経済発展も停滞と沈没だ。誰も責任を取っていない。年収200万円の人を例にあげたが、実は政府案はもっと過酷だ。年収135万円以下の人からも限度額を900円引き上げて3万6300円にしようとしている。年収135万円とは月収11万2500円。そこから3万6300円の限度額が払えるわけもなく、つまり「医療を受けるな、あきらめろ」という以外の何物でもない。そもそも月収11万円の人には「援助が必要」と発想するのが当然だ。「900円でも引き上げる」という思考はどこから来ているのか。
生活保護制度への弾圧
「生活保護をもらえばよいではないか」と語る人もいる。確かに非正規職や女性という安価な使い捨て労働者の場合は、40〜50年働き続けても、生活保護基準以下の年金しか受け取れない。日々の生活は何とかなっても、家賃や医療費となると難しい。それならば「年金なんて払わずに、年を取ったら生活保護を申請すればよいではないか」という意見も出てくる。あと10年もすると就職氷河期時代の若者たちが高齢化する。それを国や行政は恐れている。
群馬県桐生市の生保弾圧行政はあまりに顕著かつ露骨で大きなニュースになったが、それは桐生市だけのことだろうか。「おにぎりを食べたい」と書き残して餓死した北九州の事件。老いた姉妹が共に死んで発見され、その冷蔵庫にはほぼ何も入っていなかった事件。いずれも行政の窓口で生保を打ち切られたりした人たちだ。これを行政による殺人と言わずにはおれない。
桐生市事件では、今年3月28日に第三者委員会から報告書が提出され、荒木市長の謝罪となったが、以下のような無法がまかり通っていた。
(1)生活保護費を1日1000円だけ分割して渡し、満額分は不支給とする(生活保護法違反)。(2)福祉事務所が1948本もの印鑑を保管し、勝手に使用。(3)生保利用者の知らない「扶養届」が出されて保護費が減額。(4)子持ちの市民が生保申請時に「子どもを児童相談所に預けることになる」と言われた。㈭高齢者のデイケア利用を拒否。㈮単身高齢者で生活がホームレス状態(栄養失調、電気・ガス・水道が止められている)なので生保申請したが、窓口で「家計簿をつけろ」と追い返され、再度行くも「家族に支えてもらえ」と拒否。
以上は第三者委員会に寄せられた証言の一部だ。
実際、同じ市役所の他部署の職員からも、生保窓口職員の申請者・利用者への暴言・罵倒・威圧的態度は耳を覆うような状態だったと報告されている。これらは窓口職員の個人問題にわい小化してはならない。桐生市の生保利用者が2011年以降急減したことに対して、「なんらかの組織的意思決定がなされた結果だと私たちは確信している」と第三者委員会は指摘した。桐生市は改善策として、いまのところ女性ケースワーカー導入(問題発覚時は女性はゼロ)、退職警察官を生活保護係には配置しない、としている。そもそも建物の警備係ならわかるが、福祉の窓口に元警察官を配置する方針の中に、行政権力の意志が見事に反映されている。
誰もが当事者に
低額年金や生活保護に対して、「自分は関係ない」と思っている人が多いだろう。そうではないと強く言いたい。私事で恐縮だが、私の弟も生活保護受給者である。弟は以前、中規模の金網工場で工員として働いていた。1週間連日日勤すれば、翌週は連日夜から翌朝までの長時間勤務と、それが繰り返される勤務形態だった。高度経済成長の時代で、企業はこうして24時間機械と労働力を止めずに稼働させていた。強搾取されていただけと否定的に言う人もいるだろうが、労働者は搾取に苦しみながらも、そうやって経済と社会の実態を担っていたのだ。きつい労働だが30年前の時点で月収40万円あり、弟は意気軒昂(いきけんこう)と働き、結婚し二人の子どもに恵まれ、ローンをかかえながらも小さな家を持ち、まあまあの人生を送っていた。
しかし、あるとき突然に白血病を宣告され、きつい抗がん剤治療と長期入院が始まった(私たち姉弟は被爆二世)。収入は途絶え、高額な医療費に苦しみ、子どもは大学を中退。家は二束三文でしか売れず、結局、一家離散。以来、弟は抗がん剤治療の後遺症をかかえ、生活保護に頼り、小さなアパートで寝たり起きたりの毎日を過ごしている。数年前のことだが、居住自治体の生保担当者からしつこく「働け」と言われ、気の弱い弟は近くのスーパーで買物カートの整理という仕事を見つけてきた。が、一日も体力が持たず即座に解雇。病気があり働けないから致し方なく生保にたよっている弟に「働け」という行政。「働けるのかどうか」を病院の主治医に行政は問い合わせたのかと腹が立ってならない。
トリプルワークで心身を酷使するシングルマザー、労働法のらち外に置かれて何の保障もなく夜間まで働く宅配ドライバー。「来年の保証」がない会計年度採用とやらの公務員(ほとんど女性)。一体こんな雇用形態はいつできたのか。
病に冒されて、何十年も地をはうように生きてきて、そしてあと何年も生きることが叶わない水俣病患者たちの血を吐くような訴えに対して、「時間が来た」とマイクのスイッチを切った官僚の姿! この感性で国家運営されているのだ。
生活保護制度は誰にとっても命の砦である。誰もが当事者になりうる。断じて後退させてはならない。(朽木野リン)
