
連日、小泉農相がテレビに出ているが、「令和のコメ騒動」を招いた原因は政府・自民党の農政以外のなにものでもない。それは、①減反・減産政策、②農家支援の切捨て、③価格を市場まかせにした、の3点について述べたい。
減反・減産政策
2000年に174万戸あったコメ農家は2024年には53万戸と3分の1に激減した。これだけでも異常な事態だが、日本農業は今や崩壊的危機に直面している。
2023年のコメの需要量705万トンに対して、コメの生産量は661万トンだった。一方、民間の在庫量も適正在庫量を大幅に下回る153万トンしかなかった。そこでコメ不足に危機感に駆られた業者や、これを儲けのチャンスとみた業者の間で集荷競争が起こり、コメ価格が高騰した。政府は「新米が出てくれば大丈夫」と無責任にうそぶいていたが、コメ不足は偶然や一時的なものではなく、構造的なものである。
小泉農相は「政府備蓄米放出」で名前を売っているが、その備蓄量は年間わずか91万トンで、国内のコメ消費の1・5カ月分でしかない。「備蓄米放出」は一時的な乗り切り策にすぎない。そもそも大災害に対応できる量ではないのだ。
それが分かっているので、小泉農相は6月6日の閣議後の記者会見で「卸業者が500%もの利益をあげている」と「流通業者=悪者」論をぶち上げたのである。コメ不足や価格高騰の原因を流通業者に押し付けて、政府の責任を逃れようというのである。
言葉短く断言してみせるのは父親ゆずりのパフォーマンスだろうが、小泉純一郎元首相がそうやって郵政民営化をはじめ新自由主義的な「構造改革」を強行していた当時を思い出して、腹立たしさが倍増した。この会見で小泉農相は「政府備蓄米が尽きた場合は、外国産米の緊急輸入を検討している」と発言した。政府の本音はここにある。米国のトランプ大統領から「非関税障壁」(後述)の見直しを含めた強硬な対日要請があるが、そのなかにコメの輸入拡大が含まれている。
農家支援の切捨て
民主党政権下の2010年に発足した「農業者戸別所得補償制度」は、減反方針を維持しつつも、コメについては10アール当たり1万5000円を支給した。ところがこの制度は、自民党政権が復活した翌年の2013年に「経営所得安定対策制度」に切り替わり、支給額もコメ10アール当たり7500円と半減し、ついに2018年には制度そのものが廃止された。制度廃止によって、国内の農家は年間1500億円以上の所得を失ったのである。こうしてコメを作れば作るほど赤字になる事態を放置し続けた結果が、「農家は時給10円」と言われる破綻的な事態なのである。にもかかわらず、農林水産省の官僚たちは「所得補償なき減反政策」を続行すると公言しているのだ。
日本政府のように自国の農民の窮状をかえりみない政府は、先進諸国の中では際立っている。EU諸国は農業の持つ食料の安全保障や環境保全を重視し、手厚い所得補償を行っている。米国でさえ農産物の販売価格が生産費を下回った場合は、その差額を政府が保障しているのだ。
小泉農相は「農業の将来ビジョン」を問われて、「集約化、大区画化、新たな技術」と答えた。米国のような地平線が見える広大な農地で、自家用機で種まきや農薬散布ができる条件が日本にどれだけあるというのか。また彼は「コメを作るだけ作って、余った分は国が買い上げるという以前の農業政策には戻さない」と明確に減反政策の見直しを拒絶し、現在の日本農業の実態を全く理解していないことを露呈した。困窮している日本の農家を支えようという視点は全くない。
価格の市場まかせ
「自由化」の名の下に、コメの価格や流通を市場まかせにしたことにより、大手量販店などが農家からコメを安値で買い叩くことが可能になった。こうした業者と自民党が利権で一致し、癒着していることは明らかだ。
また米国からのコメの輸入は民間では既に急増している。その輸入量は、この4月だけ見ても昨年の月平均輸入量の80倍もの伸びである。
非関税障壁
トランプ米大統領が4月に発表した「相互関税」は世界に衝撃を与えた。トランプは貿易相手国の「非関税障壁」を問題視し、米国製品の輸入を妨害しているとして、相手国の法律や規制を「見直せ」と圧力をかけているのである。コメについては「日本の厳しく不透明な制度が米国輸出業者の参入を制限している」と非難し、収穫後の農産物に使用する殺菌剤や防かび剤などの規制など、「食の安全」を守るための措置の緩和も求めている。
亡国の政治とどう闘うか
日米安保同盟と言えば、どうしても軍事的側面に目がいきがちだが、経済面では牛肉・オレンジなどの輸入自由化が米国から強制されている。属国化しているのは軍事だけではない。戦後80年、あらゆる政策において日本は米国に首根っこを押さえられてきた。それに反発するものは、日本においては権力を握ることはできない。小沢一郎の失脚や普天間飛行場の県外移設を公約した鳩山民主党政権の短命化など、あらゆるところに米国の影がうかがえる。
1960年の日本の食料自給率は79%だったが、2023年には38%まで落ちた。この国の農政、第一次産業の将来に向けた構想はどうなっているのか。
水産業においても養殖を含めた日本の漁獲量は2022年に400万トンを割り込み、1980年代の3分の1まで減少した。自然相手のことなので多少の変動はあるだろうが、漁労所得(個人営業の漁船漁業)はおおむね200万円台で、高齢化が進み、漁業者は減少する一方である。
日本資本主義の「改良」をめざすつもりはないが、この国の「亡国」の政治には憤りを禁じ得ない。スーパーの備蓄米販売で整理券を握りしめながら長蛇の列に並ぶ人びとを見ると、ある既視感がつきまとう。それはソ連崩壊前、寒風の中でパン屋の前に並ぶ人びとの姿だ。多大な犠牲を払って勝ちとったロシア革命の結果がこれなのかと。「スターリン主義に問題があったからだ」というような軽々しい論評は聞きたくない。「レーニン主義との決別」と言っても、それはどのように進めばよいのか。いまだに路線的混迷の中にあるが、今はただ、困窮する民衆に寄りそいつつ、一歩一歩進んでいくしかないのだろう。(朽木野リン)
