
20数年前、部落解放同盟全国連の集会で石川一雄さんが話した「獄中で看守さんが教えてくれた漢字の勉強」を、写真のように理解した。看守さんの優しい知恵と人情に唸ってしまった。
その集会の退出の時、石川一雄さんから参加者全員が握手をされ、私も握手した。「漢字の勉強」のこと、狭山支部にいた友人だった井田一郎さんの近況などを聞きたかったが、気後れし機会をのがしてしまった。当時は元気だった井田さんは、焼失した石川さん宅の鴨居の再現制作を手伝っていたらしかった。
石川一雄さんは、三鷹事件の無実の死刑囚である竹内景助さん(のちに獄死)から「無実を訴えなさい」と説得された話や、看守さんから字を教えてもらい、看守さんの連れ合いさんからは文具の差し入れをしてもらったこと、部落の子どもたちからの「石川兄ちゃん、頑張れ!」という激励の手紙のことなど、胸一杯の感謝の気持ちを語った。「自分の人生は幸せです!」という言葉に、ビリッときた。
学生解放研として狭山差別裁判糾弾の行動に、月1、2回、東京の再開公判に学割周遊券(当時3千円くらい)使って参加し、石川一雄さんの獄中からの檄にムチ打たれながら、恥じない生き方をせねばならないと一人よがりに思っていた。
当時の若者たちは、狭山闘争や三里塚闘争に陸続と起ちあがり、石川一雄さんの無罪を求め10万人の人々が全国から日比谷公園に集ったこともあった。世界に類を見ないたたかいだった。
私のいちばん好きな歌、「我が身体 暗夜の獄に埋もれども 心は常に荊冠旗のもと」。早智子さんが発した第4次再審請求、袴田巌さん・秀子さんが50年を費やし命懸けで実現した再審勝利、今国会での再審法改正の大きな流動。石川一雄さんが、生涯かけた「部落差別撤廃と、冤罪事件のこの世から一掃する」願い。
石川一雄さんの霊前に「無実判決」を捧げ、新たな歴史の1ページを切り開かねば。(啓)
