6月最終の日曜日、「辺野古派遣サポートおおさか基金」主催の第6回辺野古支援学習会が行われた。今回は、辺野古ゲート前スタッフの1人と、神戸行動、カヌーメンバーでもある人の2人を迎え、「ゲート前・海上抗議行動からのレポート」と題し、「現場の今」を語ってもらった(大阪国労会館)。

工事用ゲートが開くのが1日3回の異様
辺野古に通うのは、長年、大阪の建設会社で現場監督をしてきた人。「多くの建設現場を見てきたが、工事用のゲートが1日に9時、12時、3時の3回だけしか開かない現場は、これまで体験したことがなかった」と話した。通常の工事現場では必要に応じてゲートが開けられ、原則、搬入時間は工事側の自由だ。だが辺野古では、新基地建設阻止を求める側と、工事を進める沖縄防衛局、それに沖縄県警との三者の間で1日3回とする「合意」がなされている。この合意は「一見、たいしたことではないように思えるが、工事を進める側からみれば、かなりのハンディを負う厳しいものだと知って欲しい」という。

12年目に入った辺野古反対闘争
この7月7日で、辺野古新基地建設反対闘争は12年目に入る。その初めから、彼はスタッフとして参加してきた。今では、名護市街に他のスタッフとアパートを共同で借り、ほぼ1カ月交代で大阪府内から通い続けている。朝7時にバイクで辺野古ゲート前に到着、のぼり・マイク・椅子・プラカード等を工事用ゲート前に運ぶ。
昨年3月に工事用ゲートが1・5キロ先に移転されたため、参加者を車で送迎する手配もする。さらに、搬入車種ごとにカウントする役目もある。彼を初め、スタッフのみなさんが辺野古のたたかいを支えてくれている。
さらに、ドローンプロジェクトから提供された映像から読み取った「新基地建設における問題と進捗状況」について詳しく説明があった。現場監督だった人の的確な指摘に、「なるほど」と納得がいった。
つばの広い帽子の下に、日焼け防止のネックガード、長袖シャツは必需品。大阪では考えられない「沖縄の太陽の強い日差しにさらされていると、最近は齢のせいか正直しんどいこともある」と笑いながら、しかし10年前と変わらず意志は堅固だ。
次に2カ月に1度はカヌーでの海上抗議行動に参加している男性から。毎回、那覇空港のレンタカー店に向かう運転手さんから「観光ですか」と聞かれる。「いえ、辺野古での新基地建設に、カヌーで反対している」と答えると、「もう辺野古は建設中で阻止行動も終わっているんではないですか」と聞き返された。沖縄の人びとの辺野古への関心が低下したように感じたという。

カヌー行動、声をあげ続ける
大浦湾に配置されたサウンドコンパクション(SCP)船やA護岸での鋼管打ち込み作業に対し、作業ヤード現場へカヌーでフロートを越え阻止行動を行なっている。毎回、10艇に満たないカヌーの抗議行動は、海保のGB(硬質ゴムボート)により拘束されるが、拘束されてもカヌー上に立ち、作業船に向かってプラカードを掲げ、抗議の声をあげる。しかしSCP船の作業中の轟音が凄まじく、大声でも消し去られてしまうようになった。それでも、カヌーメンバーは声を上げ続けている。
その後、質疑応答。「沖縄の人びとの間で、辺野古新基地建設反対についての意見が小さくなっているのでしょうか」との質問が出された。それに、カヌー行動に参加している別の人から、「沖縄の人びとの根っこにある、理不尽な沖縄差別への怒りは消えていない」と、毎回工事用ゲート前に座り込んでいる沖縄の高齢者の方から聞いた話を紹介してくれた。
その人が高校生のころに、「教育二法反対闘争」があった。「県警に拘束された先生が翌朝解放され、傷を負いながら、その姿で教壇に立った」こと、「初めての首長公選で、屋良朝苗さんの当選を聞くために、教室にラジオを持ち込み、先生も生徒も、みんなでわぁっ!と声を上げ喜んだ」という。
沖縄がヤマトに翻弄されながら、粘り強く闘ってきた歴史は、易々と消えるものではない。(住田一郎)