
「PTSD、日本兵の家族の思い大阪証言集会(第3回)」に参加した。
報告した黒井秋夫さんは、中国吉林省・公主嶺(こうしゅれい:旧満州の軍都)を訪問し、父親の戦中の蛮行を謝罪したことを話した。
公主嶺では、李素禎さん(日中口述歴史文化研究会常務副会長)が、日本兵による刺突訓練や「軍犬小屋」で中国人を「餌」にした残忍な行為をはがきで知らせられたという黒井さんは、公主嶺の小学校校庭で小学生・教職員・地元の人たち800人を前に、土下座して謝罪した。
それで父親の行為が許されるわけではないが、和解の第一歩に違いない。これからの日本と中国の未来の行方を、しっかりと信頼を築きながら進むことが大切かと思った。
日本兵・軍属(310万人)の圧倒的多数が、中国でどんな行為を行ったか、どんな行為を見たか、口外できないまま、亡くなった。真実は、日中の口述の歴史から見つけ出し、和解と赦しの中で共有していくしかない。
当時の兵士や軍属のほとんどが故人となった今、PTSDになった日本兵のことを家族が話すということが始まった。精神科医の胡桃澤 伸さんが、くわしく語った。胡桃澤さんは、浜田知明の版画『少年兵哀歌』、水上勉の『兵卒のたてがみ』、城田すず子の『マリヤの賛歌』や、沖縄の元日本兵・日比野勝廣さんの話から戦争について知っていった。私も「兵士」になっていたという。
国家の加害に抗う
PTSDの持つ力は、「言葉にならなかった死者たちの訴え」が結晶化されていること。被害者(患者)の立場に立ち、加害者(国家)に抗うことによって、国家の論理(「お前が望んだのだ」)を崩すことが大切という。
トラウマはさまざまな形をとる。その言動の奥に目を凝らすと、軍隊・戦場が見えてくる。自分の命も、敵の命も軽く扱う。どうにもならないために、PTSDを知り、殺す側、殺される側をつなぎ、一つに戻す発想を見につけることが大切という。例えば「白旗を掲げる」など。
どれも深い意味を持ち示唆に富み、一度では理解不充分。もっと深く知りたくなる、内容の濃い話しだった。
その後、PTSDになった日本兵の家族2人が証言し、され、またPTSD日本兵の家族が、体験を語り合う交流会が行われた。(豊子)
