戦争をなりわいとするニンゲンが人間として生きているこの世

               道浦母都子

消せない記憶
1981年発行の吉開那津子著『消せない記憶―湯浅軍医生体解剖の記録』という本がある。「日本軍の生体解剖の記録、ある軍医による痛恨の証言」、軍医であった湯浅謙医師の半生を記録した証言集である。
この医師の体験はあまりにも衝撃的であり、侵略的な帝国主義戦争の波にのみこまれた日本人の、誰の身にも起こっても不思議ではない出来事であった。ごく平凡な一人の日本人が、時代の嵐のなかで、人間とは思えない行為をするまで追い詰められていく姿は悲惨であるとしかいいようがなく、その姿と、その過程こそ、私たちに警鐘として語り残さねばならない。
湯浅謙医師は志願して旭川歩兵第28連隊に入隊した。「日本軍には、決して捕虜になってはいけない」と教えられ、撤退する方法がなければ、捕らえられる前に自決しなければならない。また、「将校は絶対に捕虜になってはならない」とされ、「腰にある拳銃は、戦闘用のものではなく、自決用のものだ。口に中へ向けて撃てば呼吸中枢をやられるから、忽ち死ぬことが出来る」と教えられた。
入隊後2カ月ほど経ち、山西省・潞安陸軍病院への赴任命令を受けた。病院長から手術演習の実施が言い渡された。「手術演習」は、師団隊附軍医が緊急に手術できるように、技術取得のために計画的に実施されていた。「材料」は、生身の健康な中国人捕虜囚人であった。両手を縛られた中国人が2人。1人は、背が高く頬が広くガッチリした体格の若い男性であった。もう1人は年配の農民風で、縛られた両手を前に突き出し「アイヤー、アイヤー」と悲鳴をあげながら、室内を見回していた。
背の高い男性は、兵に促されるまま手術台に臥した。年配の農民風の男性は、兵が促しても手で押しやっても、後ずさりする。

「麻酔する、痛くないよ」
手術台にその人を上げるのは、看護婦の役目である。「マーヤケイ、ブトン…(麻酔するよ、痛くないよ)」といった言葉をかけながら、簡単に寝かしてしまった。その看護婦は、私の方を見て「どうですか」というように、「うまいものでしょう」とニヤッと笑った。さて、医師らは「患者」に腰椎麻酔などほどこしてから、虫垂切除、腸管縫合、四肢切断、気管切開など、事前の計画どおり次から次へと行ったという。虫垂炎でも大腸がんでもない健常な男に、である。
生きたままバラバラに切断され、ついに絶命した。「患者」は衛生兵らにより運ばれ、他にも「患者」ら多数の屍が埋まっている穴に放り込まれた。これは、湯浅謙医師が入隊し1カ月半後に最初に犯した戦争犯罪なのだ。湯浅謙医師の軍医志願が、「ほかの選択を許さない、強制された志願」だったとして、いかなる任務であろうと拒否することは許されないという鉄則に抵抗なく組みこまれ、優越意識、選民意識に支えられ、罪の意識を持つことなく生体解剖を繰り返えした。(吉開那津子著『消せない記憶 日本軍生体解剖の記録』、および『湯浅謙氏講演録』から)。 
戦争の話を聞きたくない人よ 行きたくなくても行かされるのだ 松岡加恵(朝日歌壇、5月25日)

戦後は「優しい母親」
「潞安陸軍病院」の湯浅謙軍医は、この生体手術演習から約半世紀後に開かれた「戦友会」でこの看護婦に出会う。生体手術の演習当時は20代だったとすれば、既に年齢70を超えていたはずだ。この看護婦は、戦後責任を全く問われることなく、子どもを持つ優しい母親となり、年老いていた。「うまいものでしょう」と、「ニヤッ」と笑った看護婦であった彼女は、戦争責任を追及されることもなかった、私たちの母の1人である。
罪という感覚があれば覚えているはずだ。思い出せば、そこで反省ということが出てくる。反省と謝罪は同じ地平にあるのではないか。反省なき謝罪などというものはない。生体手術の対象者を中心として取り囲む円の周りの群れのなかに、私はいたのではないだろうか。この残酷な殺戮シーンを、私は軍医の肩越しに目撃をしていたのではないだろうか。「うまいものでしょ」とニヤッと赤い下をペロリとだして見せた看護婦に、私はどんな微笑みを返したのだろう。
このような構図の中に、もし私がいたのであれば、「反省と謝罪」「自明の罪」に埋め込むことができたであろうか。いや、むしろ自分自身を埋め込んでいくべきではないのか。輪の外延、または同心円内に、逃れようもない現在的罪がある以上、あえて自分自身を輪の圏内に自ら立ち、絶えず自ら問う必要がある。
中国人への生体解剖を指示した者、生体解剖の指示するお互いを苦しめるシステム、直接手をくだした者、これを黙認した者たち、積極的な、あるいは消極的な傍観者であろうと、自明的な罪を負うものでなければならない。それを知りつつ、あのとき「ニヤッと笑った」か。そのことを些事などとすっかり失念したという元看護婦に、罪以上の「罪」を感じざるを得ない。そうは思わないか。
ましてや何も言わずに同心円内から逃げ去った者も、罪以上の罪を、外延に拡張したに過ぎない。子どもをもつことになった母親のその優しさに隠された、恐怖を感じてしまった。(参考:『いまここに在ることの恥』辺見庸著)

血であがなわれた繁栄
かつての「国民優生法」は、それ自身が戦時体制の社会体制の役割、天皇・天皇制と一体となり、国民の思想的根幹として「国家政策」としての機能を充分に果した。戦後は「旧優生保護法」のもとで自民族に対する優越意識、選民思想が異民族への排外主義を生んだ。軍需物資を売り歩き、朝鮮人民の、ベトナム人民の虐殺を許し、日本の高度経済成長を造り上げた。
戦後の日本と繁栄は、朝鮮とベトナムの人々の流がされた血であがなわれたのであり、沖縄を米軍に売り渡し、米軍の軍政下に委ねたことであり得たのである。戦前を引き継ぎ、そして戦後の再興を成し遂げた私たちは、いま再びの道を歩もうとしている。ポピュリズムと排外主義のうねりを高めあっている。人種主義まで持ち出されている。

石は転げだしているか
自国第一の軍事力をさらに強化し、朝鮮民主主義人民共和国を封じ込め、さらに「中国脅威論」を持ち出して中華人民共和国を封じ込め、東アジア、東南アジア、さらにインド・太平洋と、琉球諸島を最前線基地化しながら、自国ファーストの経済的枠組みに再編成しようとしている。かつての「大東亜共栄圏構想」の再来なのか。具体的な戦争の実相を生活の次元まで掘り下げ、捉え直していく必要がある。
石が転げだしたらとまらない。石は転げだしている。知恵を出し合い、身を挺し歯止めの一石を投じようではないか。(嘉直)