
被爆証言 豊永恵三郎さん
「被爆80年」の8・6ヒロシマ平和の夕べ。会場は満席の盛況だった。
被爆証言は豊永恵三郎さん。被爆時、小学3年生。父親はすでに病死、母親と3歳になる弟との3人暮らしだった。自宅から10キロほど離れた坂町へ、中耳炎の治療に出かけていたため、ケガはなかった。
地響きのような爆音に驚き振り返ると、広島の方向に大きなキノコのような雲が見えた。家に帰ろうとしたが、広島方面から来た列車から、指先から皮膚を垂らした人とも思えぬ姿の乗客が大勢降りてくる。途中にある祖父宅へ歩く。翌日、祖父らと大八車を引き家族探した。焼け野原の中、人づてに避難所を聞きつけ弟を見つけた。
酷い火傷の母親
母親がとっさに身体の下に庇ったからか弟は奇跡的に無傷だったが、母親は顔がわからなくなるほどに酷い火傷を負っていた。弟は放射線を浴びたため、一時は死に瀕したが、親族の看病により、母も弟もなんとか回復した。貧困のなか、豊永さんは高校から大学を卒業し、教員として就職することができた。
1971年に初めて韓国を訪問し、在韓被爆者と出会い、日本政府や韓国政府から見捨てられた韓国人被爆者の存在を知った。これまで40件を超える「在外被爆者支援訴訟」にかかわった。被爆時に渡日していた理由は、徴兵・徴用(いわゆる強制連行)、あるいは生活苦のため移住であった。

在韓、在外日悪者支援にかかわる
生活のために渡日した人たちを、「自分の意志で勝手に日本に来た」かのように言う人がいる。日本の植民地支配と圧政のため、生きるために渡日を選ばざるを得なかった人たち、その子孫に、「在日特権でなど優遇されている」など、排斥するような日本、日本人であってはならない。忘れてはならないのは、日本の植民地支配が7万人もの在韓被爆者を生んだこと。さらにその後、朝鮮戦争により南北が分断され、1965年の日韓条約で「在韓被爆者については解決済み」とされた。「日韓両政府」から二重に見捨てられた。
第五福竜丸展示館 市田真理さん
次に、第五福竜丸展示館から学芸員の市田真理さんから。水爆実験のためにビキニ環礁に住む住民は、強制移住させられていた。何も知らなかったマグロ漁船も、操業中に放射線被爆を受けた。爆風により破砕されたサンゴの白い粉塵を浴びた乗組員たちは、頭痛や吐き気に襲われ、帰国後病院に収容される。
その報道により、水揚げされた各地に水揚げされた「汚染マグロ」は地中へ埋められた。漁獲物を廃棄した船は、全国で992隻に上ったとされる。その後、日本でも各地で「放射能の雨」が観測された。それは「第五福竜丸事件」などというものではなく、水爆・核実験による広大な人災だった。
乗組員の一人、久保山愛吉さんは被爆半年後、「原水爆による犠牲者は、私を最後にしてほしい」と言い残し亡くなった。泣き崩れるか軸を放映した衝撃的な報道。全国で「原水禁」署名運動が起こり、瞬く間に3200万筆の署名が集まるなど、反核運動が急速に高まった。
200万ドルの見舞金と分断
アメリカ政府は日本との関係悪化を憂慮し、200万ドルの見舞金という形で政治的決着を図った。それは、補償を受けられない広島、長崎の多くの原爆被害者との分断を生むことにもなった。核実験はこれまでに2000回を超えている。このような悲劇さえ生む核兵器に正義はない。閉ざされた重い口を開く元乗組員、大石又七さんに寄り添い、被爆証言活動を支えてきた市田さんの締めくくりの言葉は、「忘れないこと」「学ぶこと」「自分で考えること」「伝えること」だった。
平和講演 青木理さん
アメリカの核圧力と北朝鮮
青木理さん(ジャーナリスト)の平和講演は、元毎日新聞記者の小川美砂さんからのインタビュー、対談で行なわれた。
「共和国(北朝鮮)の核保有についてどう思うか」
「体制を守るための核というロジックは“理解はできる”が、納得できるものではない。世界の現状をみると、ロシアはウクライナ侵攻に際し、戦後初めて核による威嚇を利用した。アメリカはNPT加盟国であるイランの核施設を攻撃した。いずれも核保有国が世界を乱している。北朝鮮が『やっぱり核を持たねば』と考える実を与えてしまうことになっている」
「核なき世界の実現に向かって何が求められるか」
「中国を仮想敵国とした日米合同軍事演習の際、自衛隊幹部が『核の脅しを使ってくれ』とアメリカに迫った。オバマ政権が核の先制不使用宣言を検討していたとき、頓挫した理由の一つに、『日本が反対している』ということがあった。被爆国である日本が、アメリカの核にすがり安全保障を求めるという構図がある。それを変えなければ、現状を動かすことはできないのではないか」
「排外主義を主張する政党に支持が集まる」
「今回の選挙では野党がすべて減税を掲げた。現在の労働環境は劣悪だし、将来への不安が高まっている。アメリカやヨーロッパでも同様のことが起こっている。トランプや極右勢力の台頭など。ヨーロッパでは実際に難民を受け入れ、その結果が反映されたのに対し、日本は事情が違う。日本は難民に冷たく、ほとんど受け入れていない。少子高齢化による労働力不足があり、外国人労働力に頼らざるを得ないが、外国人を単なる労働力としか見ておらず、人権など考慮されていないことが問題だ」

広島、長崎、ビキニ、フクシマ
「これからの社会を少しでも良くしていくために、必要なことは」
「ヒロシマ・ナガサキ・福竜丸、そしてフクシマ。このような経験した国は世界のどこにもない。暗い話ばかりになるが、現状を見るに、さらに悪化すると思われる。(ジャーナリストとして言えば)例えば、かつて800万部あった新聞の発行部数は今や半減。記事内容もしかり。能登半島地震の記事がどうも薄っぺらいと感じた。調べてみると(コストカットのため)現場の記者が減らされ引き上げている。常駐していない。金沢から現地入りした記者の報告になっていた。現地、現場の空気が伝わらない。よい社会とはメディア、ジャーナリズムをはじめ、すべからく健全に語り合えなければ」

毎年、この集りに参加してきた。毎回、「被爆、核をめぐる新たな視点」を与えられてきた。今年で19年目となるそうだ。ぜひとも継承してほしい。(安芸一夫)*写真/被爆直後の原爆ドーム、広島型原爆「リトルボーイ」(ウラン型)模型、韓国人慰霊碑、背中のケロイド
