
昨年4月、アメリカの学生たちはパレスチナに連帯し、イスラエルがガザで行っているジェノサイド(集団虐殺)に対して一斉に抗議の声をあげた。コロンビア大学でキャンパス内にテントを張って泊まり込む抗議運動(エンキャンプメント)が始まると、瞬く間に全米各地の大学に広がった。こうした抗議運動に対して警察当局は激しい弾圧を加え、逮捕者は2800人を超えた。学生や市民たちはどのような思いで抗議運動に立ち上がったのか。ニューヨーク在住で、コロンビア大学とニューヨーク市立大学(CUNY)のエンキャンプメントに参加し、逮捕も経験したTさん(仮名)の報告会を聞いた(7月26日、大阪・高槻市)。Tさんは日系アメリカ人である。またトランスジェンダーの立場からLGBT、フェミニズム、障がい者などの運動に関わりを持ち、パレスチナ連帯運動に参加してきた。
「これは真空の中で起きたのではない」
最初に2023年10月から翌年4月かけて、アメリカでは学生たちのパレスチナ連帯運動をめぐってどうような動きがあったかについて簡単に説明しておきたい。2023年10月7日、ガザの「アル・アクサーの洪水」と呼ばれる武装蜂起の直後から、アメリカの学生たちはパレスチナへの連帯を表明して行動を開始した。同日のうちに、「ハーバード学部生パレスチナ連帯委員会」など34団体が連名で、「今日起きた出来事は真空の中で起きたのではない」「過去20年にわたり数百万のパレスチナ人が屋根のない監獄に収監されてきた」と訴える声明を発表した。その後、こうした学生たちのパレスチナ連帯運動が「大学内での反ユダヤ主義の増長」であるかのようにキャンペーンされ、12月5日には、共和党保守派が多数を占める連邦下院教育労働委員会が、「大学トップの責任を追及し反ユダヤ主義と闘う」をスローガンに掲げた公聴会を開き、ハーバード、MIT(マサチューセッツ工科大学)、ペンシルベニアの各大学の学長を喚問した。6時間に及んだ公聴会では共和党議員が「反ユダヤ主義を明確に否定しなかった」として学長らを猛烈に批判し、ペンシルベニア大の学長は辞任に追い込まれた。また公聴会での発言を撤回したハーバード大の学長もその後、別事件を理由に辞任にさせられた。このような大学における言論・表現の自由を踏みにじる保守派政治家たちの圧力に学生たちは屈したわけではなかった。
翌年4月17日、今度はコロンビア大学の学長ネマト・シャフィク氏が同じ公聴会に呼ばれた。シャフィク氏は前年の公聴会に呼ばれた学長たちとは打って変わって、保守派議員の「コロンビア大のパレスチナ連帯運動は頑迷な反ユダヤ主義」という主張に全面的に迎合した。そして、大学がいかに学生たちを取り締まっているかを得々と説明しているまさにその時、コロンビア大学のキャンパスで学生たちによる「パレスチナに連帯するエンキャンプメント」が始まったのである。
エンキャンプメント(野営)の背景
Tさんによれば、全米各地に拡大したエンキャンプメントは、イスラエルのアパルトヘイトとジェノサイドに反対するBDS(ボイコット、資本引上げ、制裁)運動やアメリカの先住民運動、黒人解放運動、再開発反対運動、刑務所廃止運動など多様な運動の影響を反映しているという。それはコロンビア大のエンキャンプメントが掲げた5つの要求の中に明確に読み取ることができる。
一つ目の「パレスチナにおけるアパルトヘイト、ジェノサイド、占領から利益を得ているすべての企業から、コロンビア大学の資金をひきあげろ」と、二つ目の「コロンビア大学はイスラエルの大学との学術的な関係を断絶せよ」は明らかにBDS運動の一環である。
三つ目の要求は「ハーレム、レナペホキング、またはパレスチナにおける土地の強制収用は一切認めない。拡大を停止し、賠償金を支払い、低所得のハーレム住民のための住宅支援を実施せよ。コロンビア大学による開発は、真のコミュニティが主体となる制度が確立するまで認めない」。コロンビア大学は不動産としての巨大な資本を所持しており、大学が所在するニューヨーク市マンハッタン区のハーレムで長年にわたって再開発を繰り広げてきた。この要求はコロンビア大学がイスラエルに投資すると同時に、再開発によってハーレムの住民たちを強制的に排除していることの不当性を告発している。
レナペホキングとは、マンハッタン島を含むレニ・レナぺ族の伝統的な領土を指す。植民地時代と連邦初期の時代には、多くの部族が西と北へ繰り返し強制移住させられ、現在「ウィスコンシン州」、「ニュージャージー州」、「ペンシルベニア州」、「オクラホマ州」、「カナダ」の「オンタリオ州」にレナぺ民族がいる。要求の中でレナペホキングに言及しているのは、今でもアメリカが植民地主義を継続していることを認め、パレスチナの植民地支配を必要とするアメリカ帝国主義がこの入植植民地主義(セトラーコロニアリズム )の上に成り立っているという認識の表明なのである。(*1) つまり、パレスチナと連帯することはアメリカに占領され続けられている数百の先住民族の解放を求め、アメリカ帝国主義の基盤を崩壊させることでもある。
四つ目は「パレスチナ人学生とその支援者に対するキャンパス内外での弾圧をやめろ。公共安全部門の予算を削減し、ニューヨーク市警察(NYPD)との関係を公表し、断絶せよ」。これは警察官は大学に必要ない、そもそも警察という機関は必要ないという主張で、刑務所廃止運動とブラック・ライブズ・マターの影響が反映している。
五つ目は「ガザにおける即時かつ永久的な停戦を呼びかける公式声明を発表し、パレスチナ人民に対する継続的なジェノサイド的な攻撃を非難し、政府関係者にも同様の行動を促せ」。これはジェノサイドの停止を求める緊急の要求だ。
(*1) 詳しくはこちら(英語) https://lenapeunionlandtrust.org/about-the-lenape/
1968年から2024年へ ~連続する学生たちの反乱
コロンビア大学でエンキャンプメントが始まった2024年4月17日、すぐさまインスタグラムで連帯を呼びかけるメッセージが発せられた。これに応じて多くの市民たちが応援に駆け付けた。そのため、警察は直ちにエンキャンプメントを排除することができなかった。翌18日には警官隊がキャンパスに導入され、テントが撤去されたが、学生たちはすぐに場所を変えてエンキャンプメントを継続した。 エンキャンプメントが始まると、大学の入り口には検問所が設けられ、部外者の立入りを監視するようになった。最初のうちは、CUNYの学生やハーレムの住民など、地域で活動している人たちなどがキャンパスに入ることができたが、次第にチェックが厳しくなり、大学が閉鎖されていった。それでも食料などエンキャンプメントに必要な支援物資は、警官たちが知らない出入口を使って搬入されていた。こうしたエンキャンプメントへの連帯が広がることを恐れた当局は、地下鉄の最寄り駅を一時的に閉鎖することまでして、市民がコロンビア大学に近づけないようにした。 コロンビア大というエリート大学に縁のない人びとは中に入ることができなくなったため、正門前に集まって連帯の意志を表明していたが、そこへ警官たちは容赦なく暴行を加えた。一方、キャンパスの中では学生たちが夜通しデモを続けており、外の状況に比べるとはるかに安全だった。コロンビア大のエンキャンプメントは、パレスチナ人、アラブ系、白人など多様な左翼系の人々が一緒になって担っていたが、奨学金を受けている学生たちが主導することが多かったという。 4月22日には、カリフォルニア・ポリテクニック州立大学の学生たちがキャンパス内の建物を立て籠もって抗議デモを行った。その「中庭から建物へ」と呼びかけに応えて、コロンビア大の学生たちは29日から30日にかけて、キャンパス内にあるハミルトン・ホールに立て籠もった。ここは、1968年のベトナム反戦運動で学生たちが占拠した建物だった。 学生たちは、ここをガザでイスラエル軍によって殺された6歳のヒンド・ラジャブさんを記念して「ヒンド・ホール」と名付けた。学長はすぐにNYPDの機動隊を導入。機動隊は閃光手榴弾を使い、籠城者たちを階段から突き落とすなどして、100人以上を逮捕した。逮捕が行われた4月30日は、68年のベトナム戦争やハーレム再開発に反対するコロンビアの学生たち700人以上が逮捕された日である。その56周年の日に、学長の指示によって再び大量逮捕が行われたのだ。 この日を境に大学正門の検問が強化され、53人の学生たちが寮から追い出され、キャンパス内の学生寮に居住する学生と必要不可欠な職員を除き、キャンパスへの立入りも完全に制限された。キャンパスは学生も教授もいない、警察と数名の職員しかいない異様な「教育の場」となっていた。(*2)
5月1日には、コロンビア大の近くにあるフォーダム大に警察が導入されるなど、全米各地の大学で一斉に強制排除が行われ、1500人が逮捕された。
また同日、連邦下院は、イスラエルへの批判を反ユダヤ主義と定義する法案(反ユダヤ主義啓発法)を可決した。この法律によって、大学が反シオニストの文献を採択したり、JVP(平和へのユダヤ人の声)とSJP(パレスチナ正義を求める学生会)を承認したりすると政府の資金援助を失う可能性がでてきた。「バイデン政権下で作られたこの法律は、現在のトランプ政権の政策につながっている」とTさんは指摘する。
(*2) コロンビア大学は正式に「コロンビア大学」と「バーナードカレッジ」に分かれているが、ガザとの連帯闘争中、バーナードカレッジの学生53人、コロンビア大学生6人が強制退去させられた。バーナードカレッジ学生たちは貴重品を集めるために15分しか与えられず、コロンビア大学生・大学院生たちには24時間しか与えられなかった。
https://www.columbiaspectator.com/news/2024/04/23/barnard-suspends-and-evicts-at-least-53-students-outlines-steps-for-amnesty/
https://www.curbed.com/article/housing-network-evicted-barnard-columbia-student-protesters.html
ハーレムの「労働者たちのハーバード」
Tさんは、CUNY(ニューヨーク市立大学)のシティ・カレッジで行われたエンキャンプメントにも参加した。ニューヨーク市内の各所にキャンパスがあるCUNYだが、その中でもシティ・カレッジの歴史は古い。もともとは裕福な人びとが移民の学生たちに無料で教育を与えたいという思いから作られた大学だった。ハーレムの西側にあるシティ・カレッジは、コロンビア大学から歩いて20分ほどの距離だ。ハーレムはマルコムX、作家のジェイムズ・ボルドウィン、クィアの運動で有名なオードリー・ロード、作家で民俗学者のゾラ・ニール・ハーストン、社会主義者でアメリカ資本主義を分析したW・E・B・デュボイスなどを生み出してきた地域だ。
シティ・カレッジは「労働者たちのハーバード」と呼ばれていたが、全体としてCUNYの学生たちは行動力があり、さまざまな運動にかかわっている。学生のほとんどは年間所得440万円以下の移民労働者や黒人労働者の子どもたちだ。学生の8割が有色人種なので、CUNYでは白人はマイノリティである。その国籍は130国以上におよび、うち3分の1は外国で生まれて、ニューヨークで育った子どもたちだ。非常に多くの学生たちがジェントリフィケーション(再開発によって地価・家賃が高騰し、富裕層が流入する一方で、元の住民が立ち退きを余儀なくされる現象)の悪影響を受けている。子育てや親の介護をしている学生も多く、ほとんどの学生が二つの仕事を掛け持ちしながら大学に通っている。
Tさんの目に映る学生たちの印象は、その深い絶望感である。それはトランプ政権以前からの傾向だという。Tさんが前学期に教えていた学生のひとりは「いずれは資源がなくなり、地球が温暖化し、各地で戦争が広がるなかで、多分おれは傭兵になるんだろうな」と話していたという。また「人種差別は本当に終わらせることができるのだろうか」と悲観的な気持ちで学校に来ているのだという。トランプ政権の登場以降は、その移民政策によって「父親が帰国しなければならなくなった」「父親の会社の経営を引き継ぎながら学校に通うことになった」「自分の仕事を失った」など、学生たちはさまざまな影響を被っている。
またトランプ政権以前から、トランスジェンダーの人たちが標的にされ、攻撃を受けてきた。2017年頃から右翼の戦略の1つとして、各州で、トランスジェンダーを社会的に排除する法案を毎年数百本ほど提出するという動きが始まった。当初は可決されるのは20本程度だったが、それがだんだんと増えていって、トランプ政権になると200~300本も通ってしまうという状況になっている。バイデン政権の時に、南部からニューヨークに避難してくるトランスジェンダーの人に出会うようなったが、トランプ政権になると、ニューヨークからカナダに避難するという人も出てきた。Tさんの周りにはトランスジェンダー系、クィア系、LGBT系の左翼が多いそうだが、今年の夏は非常に自殺が多かったという。
ライカーズからパレスチナまで
シティ・カレッジのエンキャンプメントで掲げられた横断幕には「ライカーズからパレスチナまで、すべての川からすべての海まで、すべての囚人が自由になりますように」と書かれていた。ライカーズとは、ニューヨーク市のライカーズ島にある刑務所のことだ。ここには未決で勾留中の人や短期の禁固刑受刑者が収容されている。このライカーズ刑務所の問題を象徴する事件が、カリフ・ブラウダーさんの事件である。かれの出身地はブロンクスで、黒人解放運動の中では「マンハッタンの内部植民地」と呼ばれることが多い地域だ。かれは、リュックサックを盗んだという容疑で逮捕され、3年間、裁判なしでライカーズ刑務所に入れられていた。そのうち700日間は独房拘束を受けていた。釈放されたときは22歳だったが、その2年後の2015年、彼は自殺した。家族は「刑務所で受けた拷問が原因だ」といっている。
ライカーズは保釈金を支払うことができない人たちがいく刑務所だ。Tさん自身も、息子がライカーズに送られたという親や、むかし自分の親がライカーズに入っていたという学生と接することがあったという。「『ライカーズ刑務所問題』を身近な問題として経験している学生たちは、差別と植民地支配を受けているものとして、パレスチナ問題を身近な問題と受けとめ、連帯する気持ちが強いのではないか」とTさんは話した。それが横断幕に掲げられた「ライカーズからパレスチナまで」という言葉に込められているのだという。
シティ・カレッジのエンキャンプメントでは、毎日炊き出しが行われていた。医療テントも設置され、参加者へのケアも行われていた。またティーチ・インでは、アーティスト、地域の活動家、教授、学生などが肩書に関係なく、それぞれの知識を肯定し、評価し、共有する空間がつくられていた。子育てをしている学生が多いため、子どもたちが参加できる子ども向けのプログラムも用意されていた。このようにエンキャンプメントは、あらゆる人に開かれた解放的な空間となっていた。
「人生で最も美しい抵抗の体験」
学生たちはエンキャンプメントにどのような気持ちで参加していたのか。その一つの例として、Tさんは、プエルトリコ出身で父親として5人の子どもを育てている学生のスピーチを紹介した。かれは16歳で学業を中断したが、成人して大学に進学した人で、自身をプエルトリコの民主主義者と紹介していた。エンキャンプメントの撤去後に行われた「人民卒業式」で披露されたスピーチは次のようなものだった。
「私たちは私たちの国、プエルトリコの主権と独立のために闘っている。私たちは違法に占領されることが何を意味するのかを知っています。占領国によって爆撃されることが何を意味するのかを知っています。私たちの英雄たちが殺害され、破壊され、歴史からかき消されることがどういうものであるのを知っています。だから心からパレスチナ人民と連帯しています。本気なんです。これは私個人の立場ではなく、プエルトリコ民族としての立場です。私たちはパレスチナと団結しています。
エンキャンプメントで体験したことは一生忘れません。十歩も歩かないうちに誰か教養のある人と深い知的な会話が始まる、それは私の心の糧となった。毎日私たちは、めざめ、一緒に食事をし、パンを分け合い、デモをしてともに祈った。そして真夜中や午前1時頃になると、大騒ぎをして、太鼓を打ち鳴らし、デモを響かせた。人生で経験した最も美しい抵抗の体験でした。ずっと大切にします。ここで立ち止まってはいけません、ここで力がわいている瞬間を革命の糧として、占領されているすべての民族が解放される動きの糧にしましょう」
重罪攻撃と分断をのりこえる
参加者たちにとって「人生で最も美しい抵抗の体験」となったシティ・カレッジのエンキャンプメントは、2024年4月30日、173人の逮捕者を出しながら、警察によって排除された。コロンビア大学のエンキャンプメントが排除された3時間後のことだった。[1]排除の瞬間までエンキャンプメントに残ることができたのはわずかな人たちだった。なぜなら参加者の多くが移民労働者の子どもたちだったので、強制送還や資格取消しという深刻なリスクをかかえていたからである。キャンパスの外ではデモで連帯しに駆け付けた人びとがいたが、警察に完全に包囲されていたため、つながることができなかった。逮捕時の警官たちは参加者に激しい暴行を加えた。翌日の学生側の報告には「警察は大学生の足首を骨折させ、二人の抗議者の歯を折った。さらに多くの学生、教職員、そして少なくともひとりのジャーナリストを至近距離からペッパースプレーで攻撃し、薬傷を負わせ、多くのものを警棒で殴打した」と記録されている。
仲間たちが警官の暴行を受けている最中、ウイル・ビルという建物に立て籠もっていた22人が、強盗、無謀に他人を危険にさらした罪、執行妨害などの重罪容疑で逮捕された。逮捕された22人は、学生、大学院生、教授など大学と何らかの関係がある者と、そうでない者とで区別され、大学に関係があると見なされた14人は比較的早い段階で不起訴となった。それ以外の8人は重罪で起訴された。
8人のうちのひとりは、今年2月14日のインタビューで次のように語っている。
「この事件は、私たち8人だけの問題ではありません。国内だけでなく世界中で、イスラエル、アメリカ合衆国、そして『西洋』のジェノサイド的な意図に挑む活動を犯罪化しようとし、その運動を弾圧する動きが拡大しています」
「外部の扇動者」というレッテルを貼られて起訴された人たちは、政府が意図的に「平和主義的でリベラルな学生たち」と「外部から暴力を持ち込む扇動者たち」という構図を描き出して、運動を分断し、抑え込もうとしていると感じていた。また学生運動が「自分たちは平和的に政治的な表現を行おうとしている学生である」ということを強調すると、確かにそれが最も安全で許容されるナラティヴ(語り口)ではあったとしても、それによって警官への暴行容疑で逮捕された人たちを孤立させ、「良い抗議者」と「悪い抗議者」という分断を自ら生み出す結果となる。平和主義を強調することで運動を守ろうとすると、かえって自分たちの足許を掘り崩してしまうことになるのではないかという主張である。
植民地主義への深い洞察
Tさんの報告を聞いて、コロンビア大やCUNYの学生運動がハーレムという地域をめぐるさまざまな運動としっかりと結びついていること知り、深く感銘を受けた。学生たちは、先住民の運動やハーレムにおけるジェントリフィケーション、そしてNYPDとの闘いから、パレスチナにおける植民地支配を自分たちの問題として直観し、その直接行動によって学生運動という枠組みを超えた普遍性を獲得しているのである。それは、アメリカ社会に続いている人種差別や植民主義にたいする学生たちの深い洞察と反省なしには考えられないものである。であるからこそ「外部の扇動者」という分断によって、学生運動が外部とのつながりを失ってしまえば、その普遍性とラディカリズムの両方を失うことになるのであろう。活動家たちはそのことを十分に自覚して次の闘いを準備しているようだ。ここから日本の私たちが学ぶべきことは無数にあると感じた。(茂木 康)
編集部:この記事は報告者のTさんに加筆・修正していただきました。
