
「戦後80年」の8月、日本軍「慰安婦」メモリアルデー企画「被害者の姿を撮り続けて」が開かれた(8月24日、神戸市内)。「映像を見ながら出会い直す、たたかい生きた彼女たちと私たちのこれから」と、元NHKディレクターの池田恵理子さんが話した。池田恵理子さんは、NHKディレクターとして「慰安婦」問題について8本の番組を制作した。2022年まで「女たちの戦争と平和資料館」の名誉館長を務め、現在まで「水曜行動」(日本軍『慰安婦』問題解決全国行動)を新宿で取り組み活動している。集会では、自らが製作したDVDを上映し、次のように講演した。
池田恵理子さんの講演から
(最初に)姜徳景さん(カン・ドッキョン)の歩みを紹介。姜さんは1944年、「仕事をしながら日本で勉強できる」と誘われ、「勤労女子挺身隊」に志願し富山県の不二越の軍需工場に送られて旋盤工となる。半年後、過酷な労働と空腹に耐えられず寮から脱走したが、「小林」という憲兵に捕まり、強かんされた。その憲兵に長野県松代の慰安所に送られ、「慰安婦」生活を強いられる。1945年、日本の敗戦、その後帰国したが、心と身体に深い傷を負った姜さんは結婚を諦め、何度か自殺未遂をする。
「日本人の責任」―責任者を処罰せよ
1992年、「慰安婦」被害者のハルモニ(おばあさん)たちのための共同生活の場、「ナヌムの家」に入居し、絵画を学び才能を開花させた。1997年2月、皆さんに惜しまれながら、肺ガンのため68歳で亡くなった。
姜さんは「責任者を処罰せよ」という絵画を描き、何度も来日し日本政府を告訴し、たたかい続けた。ハルモニたちの訴えは、2000年の「女性国際法廷」に引き継がれた。姜さんとの交流をつうじ、日本人の責任を学んだ。
拷問と性暴力
続いて、万愛花さんの被害とたたかい、歩みを紹介した。
万さんは、山西省の村に買い取られ、14歳で共産党員になって八路軍とともに戦った。1942年から43年にかけ3度捕まり、ヤオトン(横穴式住居)で身体が変形するほどの拷問と、性暴力を受けた。
日本の敗戦後、中国山西省の被害者の裁判を支援する中から、万愛花さんとの交流がはじまった。1992年12月、日本で開催された「日本の戦後補償に関する国際公聴会」で自らの被害を告発し、2000年12月、女性国際戦犯法廷で証言した。2013年9月4日に88歳で亡くなった。生涯、日本軍の性暴力を告発し続けた。
万さんは、強い人で仲間たちを支え続けた。私たちに「諦めてはならない」と常に言っていた。私たちが取り組んでいる新宿での水曜行動、外国の人は注目してくれるが、日本人は10人にひとりがチラシを受け取ってくれるか、その程度。「終わった、済んだことではないのですか」という人が多い。日韓首脳会議でも、そのような流れになっている。万愛花さんの思いを胸に、がんばっていきたい。
加害の事実を語る
最期に、元日本兵・近藤一さんを紹介。近藤さんは、1920年3月生まれ、20歳で徴兵検査後入営した。3日後、中国大陸に派兵され、日本兵として侵略戦争に加わり、その後沖縄戦に転戦させられた。戦後、「兵士たちの沖縄戦を語り継ぐ会」を作り、「私たちは捨て石にされ、捨てられた兵隊だった」という思い、体験を語り始めた。
しかし、その無残に死んだ兵隊が、じつは中国人に対して酷い行いをしていた。戦場体験を語っていくなか、加害の事実も語らなければならいないと思うようになった。2000年に「山西省・明らかにする会」と出会い、毎年山西省を訪れ、日本軍の性暴力を受け、辛い人生を生き抜いてきた大娘(中国語・おばあさん)たちと出会う。中国人「慰安婦」裁判では、加害の事実を証言した。現地を訪れると、当時の光景や中国の人たちの苦しんだ顔が蘇り、全身が針で刺さるよう。「命のある限り、戦争の本当の姿を伝え続けていくことでしか、自分の犯した罪は償えない」と思っている。
自らが起こした蛮行、目撃した蛮行。トーチカ(防御陣地)の中で女性を輪かんした。三八歩兵銃で何人貫通するか、捕らえた村人を10人ほど並ばせ、試し撃ちした。「討伐作戦」では、村で強かん。初年兵教育で、中国人を生きたまま銃剣で突く刺突訓練や、首切実演を見せるものなど残酷なものもあったと述べていた。
向き合う困難さと継承と
近藤一さんとの交流を通じ、亡くなる前までに「一代記」を撮りたかったができなくて残念でならない。韓国、中国でも、近藤さんの「加害責任についての行動」は注目されていた。加害責任と向き合うことが、いかに難しいか。近藤さんは、「教育が大事」と、地元の高校生に熱心に話していた。「慰安婦」は、今の政府のもと先延ばしになっている。姜徳景さん、万愛花さん、近藤一さんとの交流を通じ、事実をきちん伝えなければならない。
池田恵理子さんは、「それが私たちの責務であり、これからもがんばっていきたい」と話した。
「人道に対する犯罪」
集会の最後、「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」のアピールが読み上げられた。アピールでは、「34年前の8月14日は、金学順さんが日本軍による性暴力を告発した日です。戦時性暴力は『人道に対する犯罪』という認識が世界で形成されるか。『戦後80年』を迎え、日本政府は今なお戦争を反省するどころか、加害責任に向き合わず、再び戦争への道を突き進もうとしています。私たちは、日本性奴隷被害者の勇気を忘れず記憶し、日本政府の加害責任を問い続けます。戦争に反対し、あらゆる暴力を許さず、世界の人々と連帯し、共に歩みます」と訴え、参加者の拍手で確認した。
繰り返してはならない
「慰安婦」問題を、もう一度とらえなおすことが大切。アジア太平洋戦争のなかで、日本は侵略戦争を行なった。朝鮮、中国をはじめアジア各地でなにをしたのか、再び学び直すことが重要。ロシアのウクライナ戦争、イスラエルによるガザへのジェノサイド、「台湾有事」~戦争準備が進められている。戦争は、人間が人間でなくなること。その歴史を二度と繰り返すことがないように。(庄)
