「正代祭り」のポスター

 6月16日、古井正代さんが亡くなられた。古井さんは1952年生まれで、「関西青い芝の会」(脳性まひ者による当事者団体)の創設者で中心的な活動家でした。考え方の違いから「関西青い芝の会」を卒業された後も、戦争や原発(放射能)が人の命を奪い、優生思想を拡大するものと、絶対反対の立場から奔走されました。原発事故後の福島現地はもとより、東京の経産省前テントでの行動、沖縄・辺野古へも、また関西電力抗議の闘いではうつぼ公園においても車いす姿の古井さんを見ることができました。
私生活においても結婚・出産、障がいを抱えながら3人の子どもを育てあげたバイタリティのある方でした。アメリカで生活されていたこともあります。
古井さんの人生の出発点では、母親が彼女の障がい(脳性まひ)を苦に、将来を悲観して無理心中を図る(途中で他の家族に止められたが)ということもありました。古井さんの人生は、その悲惨な出発に抗(あらが)うかのように、他人の三倍は生き抜き、走り抜けた方だと思います。
何せ、年老いた両親の介護まで古井さんはやりとげたとのことです。自らの人生の終焉(しゅうえん)を前にして、「辛気くさい葬儀なんかいらん」と、自らプロデュースした「故古井正代儀葬儀あらため、正代を偲びつつ遊ぶ正代祭り」にすることを家族会議で承認させました。そのポスターには、満面の笑みでピンクの服を着た古井さんが、左手で大きな球体を持ち上げている写真が使われていました。その球体らしきものは、まさに世界というか地球だよね。「喪服禁止」「涙よりも笑いで!」彼女の生き様をそこに見ました。最後まであっぱれな人でした。
「ゆっくりとお休みください」とは言いません。たまたま同い年の私がそちらに行った折には一緒に暴れてください。「障がい者解放」と叫びながら。(想田ひろ子)