
写真家の土田ヒロミさんが撮影した、被爆を語る写真展「ヒロシマ・コレクション―1945年、夏。」が、大阪中之島の香雪美術館で開かれた。
黒く焦げた弁当箱、同じく焼け焦げた衣服、時計(多くは懐中時計)、子どもの三輪車、おもちゃや人形、下駄、靴、メガネなど。いずれも黒く焦げ、原型を留めないものがほとんどだ。メガネは半ば溶け歪み、頭蓋骨の眼窩に付着していたという。
弁当箱は、焦げたご飯のもの、ご飯の代わりに豆を入れたものも…。いずれも中味は炭化し、捜した人が代わりに「焦げた砂」などを入れている。時計も5、6個が写されていた。ほとんどが焦げ、針も無くなってなくなっている。一つだけ針が残っていた時計は、8時15分を指して止まっている。原爆が頭上に炸裂した、「そのとき」が残されていた。
兄の遺品の弁当箱の写真も展示されていた。資料館に弁当箱を寄託した父親と上の兄も既に亡くなり、末弟の私しか残っていない。原爆資料館を通し、土田さんから「撮影」依頼があった。なんらかの形で残され、みなさんに観てもらい、一人でも多くの人が「核廃絶」を思ってもらえるなら遺品の意味も増すであろうと、撮影と展示に異存はなかった。
この日、たまたま写真家の土田さんと写真の前でお会いした。土田さんと私が「弁当箱だけが、どのように家に戻ってきたか」など経緯を話していたところ、近くで観ていた子ども連れの女性が「お兄さんの弁当箱ですか」とびっくり。そのあと焦げた時計や衣服など、一つ一つの写真を丁寧に観て回っていた。
猛暑を押して「地味な写真展」に意外と少なくない人たちが訪れる、印象に残った小さな写真展だった。(8月31日、竹田)*写真展は9月7日(日)閉会。
