
明石空襲、憲法、オキナワ、フクシマ
戦後80年の年、昨年は日本被団協がノーベル平和賞受賞という出来事があった。今年も8月16日~24日、反戦平和を求めアスピア明石で「ピースフェスタ明石」が開かれた。
8階ギャラリーには、「日本被団協の歩みと核兵器廃絶の願い」をメインに、広島の高校生たちが被爆者から聞き取り描いた「原爆の絵」と、明石市平和資料室提供の「明石空襲」のパネルを展示した。
もう一つの展示「戦後80年~今と昔、平和を考える」は、同じ8階スペースに23日、24日の2日間。子どもたちが平和をテーマに描いた縦2メートル、横4メートルの大作を会場入り口に、憲法、オキナワ、フクシマ、明石の空襲、戦時下の品々。こちらは手作りのパネルが並ぶ。

戦争体験者と高校生平和大使
8月23日は、「戦争体験のつどい」が開かれ、3人が証言、120人が参加した。当時5歳の矢野さんは、「最初に明石が空襲を受けた1945年1月19日、市中心部の大観小学校そばで空襲を体験した。2回目の空襲で実家が全焼したが、一つ年下の人は戦争の記憶がない。昨年マスコミに取りあげられてから、当時の同級生と戦争の話ができるようになった」と語った。
安江静子さんは、中国残留女性だった母の宏子さんの体験を語った。「家族を失い、一人になった若い女性が言葉もわからないままに7歳年上の中国人男性と結婚し、一家を支えた。家族全員日本に帰国してからも、言葉や生活で大変苦労した」ことを話した。
高校生平和大使の松尾仁菜さんは、高校1年の時に「平和大使」の活動を知った。「いろいろな人から話を聞き、活動をする中で平和への思いを強くした。それは当たり前のことではなく、向き合い続けなければならないもの。微力でも何かを変えるきっかけにしたい」と話した。
広島県被団協、佐久間さんから
最終日8月24日、昨年ノルウェー、オスロでのノーベル賞授賞式に出席した広島県被団協の佐久間邦彦さんが講演した。「多くの支援団体といっしょに授賞式に参加し、世界の様々な人たち、団体と交流できた」と映像で報告した。田中照巳さんが受賞記念演説で述べたように、「被団協の二つの柱、核兵器廃絶と被爆者援護。国家補償を日本政府に求める運動」を紹介した。
さらに「被爆の実相を伝えたい」と、自身の被爆を写真と、被爆者の記憶をもとに書かれた絵で証言した。「一瞬ですべての生き物が殺される。それが原爆であり、戦争である。そうならないために、すべての人が考える必要がある。日本だけでなく、世界の人に一番言いたい。核兵器のない世界をどう造るか。みんなが考えなければ」と締めくくった。熱のこもった講演を200人余が聞き、予定時間を超えた。(江戸信夫)
