宿泊、交流、情報交換の場
「民宿クッション」は、沖縄平和サポートが運営している。7年前の2018年、辺野古地区入り口に開設された。辺野古新基地阻止闘争に参加する人々に、安くて清潔なベッドと手作りの食事、また様々な情報や資料を提供している。なにより、各地から来る人々の有意義で楽しい交流の場となっている。
新基地建設の計画が浮上してきた2000年代の初めまで、辺野古地区住民の新基地建設反対の声は大きかった。辺野古地区住民有志は2004年からの第一次辺野古新基地建設反対闘争をたたかい、防衛省の計画を挫折させた。

「切り崩し」に抗する
辺野古港に面した護岸に本部テントを設置し、近くに団結小屋があった。私が団結小屋を訪ねた2010年8月、防衛省事務次官だった守屋武昌が「辺野古漁民に、一人1億円で44億、これで漁業権を買い取ればいい」と言ったと団結小屋の責任者から聞いたことがあった。
住民と美海に対する侮蔑的な発言だ。しかし、鳩山首相の「最低でも県外」が覆り、埋め立てのロードマップが固まると、防衛省による切り崩しは執拗になっていった。徐々に「国がやることなので、反対してもダメだろう、ならば新基地建設の代償を獲得する方が現実的ではないか」との意見に傾きはじめる。第二次辺野古新基地建設闘争が始まる2014年7月には、辺野古地区は新基地建設賛成に大きく変わっていた。団結小屋もなくなった。

テント村から「拠点」設置へ
反対行動の場は、辺野古米軍基地工事用ゲート前に移る。朝、簡易の陽よけテントを張り、工事車両等の入構阻止の座り込みを行い、夕方に撤収するという、毎回手間暇のかかる作業を繰り返していた。そこで、米軍基地正面向かいの空き地に30メートルに及ぶ抗議のためのテント村が作られ、夜間の監視も交代でできるようになった。
課題は県外からの参加者の宿泊場所だった。辺野古周辺には宿泊施設がなく、5~10キロも離れた瀬嵩地区か名護市内に宿を見つけるしかなかった。
それで開設されたのが「クッション」である。
すでに辺野古地区は基地建設に賛成しており、基地反対運動の拠点ともなる宿泊施設建設の用地を地区内に求めることは大変だったが、ある人の尽力で中古二階建て建物を購入でき、20人が泊まれるゲストハウスにリフォームされた。その人は2週間に一度、辺野古の座り込みに東京から参加している。彼はまた、東京渋谷と沖縄那覇でホームレスへの炊き出しを毎週行っている。
「クッション」の運営を担ってくれている人もいる。彼はユニークな経歴の持ち主でイギリス・ドイツ・中国と海外生活も長く、ドイツでは邦字新聞の発行にかかわっていた。たまたま日本に帰国中に立ち寄った沖縄辺野古で、基地建設反対行動の場に居合わせた。沖縄の人びとの意気に感じ、反対闘争に身を投ずることになった。彼は、工事用ゲート前にコンクリートブロックを多量に積み上げたという容疑で、名護署に3カ月近く拘留されたこともある。

意義大きい「センター」
施設長として多忙な日々を送りながら、「やんばるシネマ」を企画し、那覇以外に映画館がほとんどなくなった沖縄で毎月、映画上映会を開催している。「クッション」は、宿として利用されているだけではなく、県内外の参加者にとって、近くにトイレがないのも不便。ゲート前テントから400メートルも離れていない「クッション」で用を足すことができる。小さなことだが、大きな安心になっているのだ。
さらに、辺野古関連図書、グッズ(Tシャツ、タオル等)の販売や、広く沖縄関連図書も置かれゆっくり読むこともできる。参加者にとっての憩いの場となっている。「クッション」の名の由来を私は知らないが、ゲート前と海上の阻止行動で疲れた参加者がしばし身を委ねる「クッション」となっているのは確かだ。(住田一郎)