昨年来続く米価高騰について、農水省は「今般のコメの価格高騰の要因や対応の検証」を8月5日に発表した。「コメは足りているが流通で目詰まりしている」という従来の主張を撤回し、需要にたいして供給が著しく不足していた事実をとうとう認めたのである。
発表された「検証」によれば、コメ不足の原因について、①高温障害により精米歩留りが悪く、玄米ベースでの必要量が増加した点を考慮していなかった②年間3000万人を超す訪日観光客の需要が統計から漏れていた③極端な円安によるパンの値上げで相対的に割安となったコメの需要が増えた④民間在庫は売り先がすでに決まっていて、緊急時のバッファーにならなかった⑤農水省は事態が把握できず、政府備蓄米の放出が遅れた。こうして23/24年で40~50万トン、24/25年で20~30万トンの不足が生じた、という。
いずれも断片的にメディアが指摘してきた事実ではあるが、コメが不足する現実を認めたことで、農水省は増産政策への転換を公式に表明せざるをえなくなった。一部からコメ不足の原因と揶揄(やゆ)されているコメの生産調整政策をついにやめるというのだが、これまで農業関係者がコメの減産に努めてきた経緯をたどれば、政府が増産を掲げても物事が簡単に進まないことは明らかだ。恐らくコメ不足の基調は今後長期にわたって続くと筆者は思っている。あるべき農業政策を提示できるほどの見識は私にもないが、何が問題になっているのか課題の整理を試みたい。

食管制度の導入
もともと農作物の生産は自然条件に大きく左右されるため、需給の調節を市場経済に任せると価格の乱高下が避けられない。農作物は需給のわずかな変動でも価格が極端に高騰したり暴落したりする。コメ711万トンの需要にたいして供給が50万トン不足しただけで値段が倍になった。逆に50万トン余れば価格が半減することもありうるわけである。実際、私の近所の八百屋では1束10円の小松菜やエノキを叩(たた)き売りしていることがよくある。
過去にさかのぼると、明治期まではコメの需給がほとんど均衡し、価格も安定していたが、日清・日露両戦争が米価の大暴騰を招き、これ以降は輸入絡みで米価は暴騰・暴落を繰り返している。これが1918年の「米騒動」につながったことから1921年に「米穀法」が制定された。「豊作の時の余剰米を政府が買い上げて貯蔵し、それを凶作の時に放出」するという平安朝以来のこの方式は、「平年度の需給が均衡しており、豊凶がその攪乱(かくらん)要因であるときには可能であるが、そもそも需給が不均衡であるときには成り立たない」(日本経済調査協議会『食管制度の抜本的改正』)。結局「米穀法」では米価の乱高下をコントロールできず、1942年に「食糧管理法」が導入されてコメの集荷から配給に至るまで政府が一元管理するに至った。
ちなみに戦前から戦中にかけて日本国内のコメは不足基調だったので、植民地支配下にあった朝鮮半島や台湾、日本軍の占領下にあった仏領インドシナから大規模なコメの輸入が行われている。毎年100万トンのコメが移送されたベトナムでは、日本軍の食糧徴発を契機とする1945年の飢饉で200万人が死んでいる。
食管体制の特徴は二重米価制度と需給の国家管理である。政府が生産者からコメを全量買上げ(生産者米価)、消費者に安く配給する(消費者米価)。食糧が絶対的に不足した戦中・戦後の時代、不足する食糧を国民に平等公平に配分するという点に限って言えば、食管制度は有効に機能したと言えるだろう。

コメ余りの時代
農家収入の安定、機械化の進展、農業基盤整備の進捗などを要因として戦後のコメ増産は軌道に乗り、1966年を境に生産高が需要を上回った。67年には過去最高の石高1445万トンを記録し、米不足の時代が終わりを告げた。
他方、コメの消費量は減り続け、政府が買い上げて売れ残った在庫米はピーク時の1970年で720万トンに達し、この第1次過剰米処理で1兆円を、79?83年の第2次過剰米処理で2兆円を費やしている。
また、農家所得を都市勤労者と均衡させる目的で、生産者米価の策定に所得補償方式が導入された1960年以降、政府買入れ米価は急速に上昇したが、都市住民の家計安定のため消費者米価は低く抑えられた。こうして売買逆ザヤが発生し、ピーク時の74年度にはその負担規模が4000億円近くに達した。
在庫米の保管費、過剰米の処分費、逆ザヤによる損失、コメの生産調整対策費などを含んだ食糧管理経費は1970年以降急増し、赤字額がもっとも膨らんだ74年には1兆円近くに達した。一般会計19兆円、農林水産予算2・2兆円の時代である。一般会計115兆円の現在価値にすれば5兆円くらいの感覚だろうか。「食管赤字の削減」が喫緊の課題となった。

出典:「米をめぐる状況について」(令和7年8月 農林水産省農産局)より
https://www.maff.go.jp/j/seisan/kikaku/attach/pdf/kome_siryou-255.pdf

政府は食管赤字を減らすために生産者米価を抑え、コメの買上げ量を減らし、自主流通米制度を導入したり、ヤミ米の流通を黙認したりするなどして、コメの流通を徐々に市場経済へと移行させていった。当時の財界やメディアも「国民が食べもしない、まずい政府標準米に税金を使うのはおかしい」「市場原理に任せれば安くておいしいコメが出回るようになる」と煽(あお)り立てて食管制度を攻撃した。政府のコメ需給管理にとどめをさしたのが93年ガットウルグアイ・ラウンドだった。米国がコメの輸入自由化を要求し、日本の食管制度を非関税障壁としてやり玉に挙げたのである。
95年に新たに「新食糧法」(「食糧需給価格安定法」)が制定され、食管制度は最終的に解体された。これ以降、コメの需給は原則的に市場原理に委ねられ、政府の役割は緊急時の備蓄米確保とミニマム・アクセス(=年間77万トンのコメ輸入管理)に限定されることとなった。
原則市場に任せるとはいっても、コメの需給をすべて市場原理に任せてしまえば、価格の乱高下を通じてコメ農家の破産や食糧暴動が頻発することは避けられない。そこで農水省と農協が主導し、稲作農家がコメの生産量を調整することで米価を安定させる在り方が常態化した。減る一方のコメの消費量に合わせて減産していくことで、コメ農家の収入を安定させようとしたのである。コメ自由化と言いながら、実質的な減反政策が続いた。需要低下に合わせてコメの生産をいかに減らすかが新食糧法下の農政課題だったのであり、中山間地の手当や暴落時のわずかな補助金などごく一部の支援を除いて、コメづくりをやめさせる転作奨励金を払うことはあっても、コメの生産にたいする補助金はこの30年間予算化されてこなかった。
生産調整を通じて米価の乱高下はおおむね避けられたものの、米価の長期下落基調はまったく変わらなかった。1995年でまだ980万トンあったコメの需要量は24年に711万トンまで減少している。一人当たりコメ消費量も1962年の118kgをピークに、22年には50.9kgまで減った。コメの供給過多という基調を受けて米価は下落を続けた。90年代には60キロ2万2000円を前後していた米価が、21世紀に入ると1万4000円くらいまで値を下げている。

出典:「米をめぐる状況について」(令和7年8月 農林水産省農産局)より
https://www.maff.go.jp/j/seisan/kikaku/attach/pdf/kome_siryou-255.pdf
「農林水産省 令和5年度食料需給表」より作成

赤字に耐えきれず耕作放棄

三菱総合研究所のデータ(稲垣公雄「コメ農家はみんな赤字なの?」で検索)によれば、コメ生産の損益分岐点は60キロ1万2000円と言われるが、稲作農家数の95%、コメ生産量の半分が赤字で、これが業界の常識なんだそうだ。部外者にはにわかに理解し難いが、一部の大規模経営を除いてコメ農家の大半は儲けが残らない赤字経営の状態が続いてきたというのである。実際には税金の減免なども併せると収支がトントンになるらしいが、いずれにしても農家の大半は稼げないコメをつくっている。その理由として先祖代々の田んぼを自分の代で潰すわけにはいかないという経済外的な要因が指摘されるが、本当のところは筆者にもよくわからない。いずれにせよ、兼業収入でコメの赤字を補塡することで辛うじてコメ作りと水田が維持されてきたことは事実である。
しかしそういう在り方も限界が近づいているようだ。コメ農家の平均年齢は70歳。400~500万円必要なトラクターの更新時期に併せて耕作放棄するケースが増えているという。私の知人からも、田舎の田んぼがすべて耕作放棄地となって用水が維持できず、自分だけ後を継いでコメをつくるわけにもいかない、という話を聞いたことがある。「水田はダム・水路・圃場(ほじょう)整備などの条件整備を行った一大装置産業」であり、「一度縮小したら拡大できない(水路が破壊されるから)」(前掲『食管制度の抜本的改正』)。とりわけ農村共同体が崩壊すれば個別農家の判断だけでコメ作りを再開することはできない。農家の廃業が増えて再生不能になる臨界点が近づいている。

政府・農水省の無策
さて、「増産」に舵(かじ)を切ったと言われる農政がどのようなものか、先の「検証」、農相会見、農水省26年度概算要求などを読んでみたが、驚くべきことに、「増産」は見事にかけ声倒れで実質ゼロ。転換などどこにもない。「コメの安定供給を図るためには、生産コストを低減させること、これが非常に重要だと考えています。このため新たな計画では、農地の大区画化、そして中山間地域における、省力化などの基盤整備を通じて、担い手の米生産コストを6割以上削減する」(9月12日農相会見)―これが彼らの増産対策(?)のほぼすべてである。従来通り、大規模化・効率化に予算をかけるばかりで、それどころか水田の転作奨励金に2960億円が費やされ、「増産を掲げて減反を進めるのか」と記者から突っ込まれる始末。そもそも小泉農相自身、抜本的な転換は27年度以降だと明言している。
26年度概算要求を農水省は「需要に応じた増産実現予算」と銘打っている。ホームページに掲げられた「概算要求の概要」も副題に「生産者自らの判断による需要に応じた生産―需給のひっ迫への的確な対応」とある。農相談話も「増産」とは決して言わず「需要に応じた増産」という謎めいた枕詞(まくらことば)が必ずつく。その意味について、農水省担当者は「水田活用の直接支払交付金は『需要に応じた生産の核』」と説明している(農協新聞8月21日付)。「水田活用の直接支払交付金」とはコメの転作奨励金のことである。要するに、表向き「増産」と言っても農政の核心は従来通りの減反と生産調整だから米価が下がることはない、安心しろ、と自民党農政族を説得しているのだ。
彼らの難解な官僚タームを意訳してみる―今後も日本の人口は減少し、長期的なコメの需要減、米価低落の傾向は変わらない。昨年のコメ不足はあくまでもイレギュラーな事態で、コメ余り・低米価の基調が続く。低米価に耐えうる大規模経営の支援という政府方針は変わらず、これまで通りコメの生産コスト削減に注力する。効率化できない赤字の中小コメ農家は廃業が増えるだろうが、大規模経営の生産性が倍になればコメの供給は足りる。コメをつくりすぎても暴落するだけなので、供給が足りない時だけ臨機応変に増産したいが、増産するかしないかはあくまで農家の自己判断になる。もしもコメがとれすぎて米価が暴落した時は、収入保険があるので農家の皆さんの自己責任で加入してほしい。今年は去年の不足分50万トンの増産が見込めたので、取りあえず政府としては何もするつもりがない―だいだいこんなところだろう。こんな内容でのらりくらりと「増産」について説明を続ける小泉大臣の話術にはほとほと感心する。
しかし、経営の大規模化による「生産性の向上」は50年近く言われつづけており、すでに限界近くまで効率化したのでこれ以上遠方に点在する小規模な耕作放棄地をかき集めても生産性が下がるだけ、という分析もある(先の三菱総合研究所)。現在のように米価が不安定で先が読めない状況では、大規模経営でも回収に10年を要する莫大な設備投資は容易ではない。まして収支トントンで経営する70歳の農夫がトラクターを買い替えてでもコメ作りを続けることはないだろう。現在の政府方針の延長上では、従来と変わらないジリ貧が続き、コメ不足の基調が続くと思われる。

コメ輸出は非現実的
形だけとはいえ「増産」の看板を掲げる以上、増産に伴う余剰米をどう扱うかについて触れないわけにはいかない。農水省は「増産の出口としてコメ輸出の抜本的拡大」を掲げているが、あまりに空論的で問題にならない。
そもそも世界のコメ生産量は5億5000万トンだが、そのうち貿易で扱われるコメは5600万トン、わずか10%。生産量の3割が輸出入に回る小麦に比べ、コメの貿易量はとても薄いと言われている。さらに、コメの国際価格は、輸出量世界1の標準的なタイ米が1キロ55円、カリフォルニア米でも120円前後。しかも国際的に取引されるコメの大半はピラフやタイ料理で使われるパサパサした長粒種で、日本と同じ短粒種のジャポニカ米を食べているのは朝鮮と中国の一部でしかない。日本がコメを輸出するといっても、キロ200円(5キロ千円)くらいまで暴落したら中国の富裕層がもしかしたら買ってくれるかも、という想定がせいぜいで、およそ現実味がない。内外価格差が大きすぎて、高価なコメを100万トン単位で買ってくれる相手がどこにも見当たらないのだ。
損切覚悟で値下げして海外に売るのも容易ではない。過去にも100万トン近い政府余剰米を二束三文で海外輸出した時、米国のコメ農家がクレームをつけてきて日米政府間協議の議題になっている(79年)。ただでさえ薄商いの国際コメ市場に日本がダンピング輸出で殴り込んだら間違いなく大問題になる。
ちなみにEUや米国では余剰穀物は輸出に回すだけでなく家畜飼料としても用いられる。日本のコメの潜在的生産能力がマックスで1400万トン、食べて消費するのが700万トン、残り700万トンを飼料に回せるなら食糧自給の観点からも申し分ないが、飼料としての向き不向きをさておいたとしても価格の壁が大きすぎて非現実的だと言われている。現在、輸入が大半を占める配合飼料はキロ60円程度。価格面で到底たちうちできないのだ。
こんなことは農水省は百も承知だ。輸出対策に回す予算はわずか81億円。「コメの輸出!」というのは、政府が増産に向けた「やってる感」を出すためのポーズにすぎない。

直接所得補償の必要性
市場経済を通じてコメを供給する以上、程度の差はあれ増産=米価下落である。かつて食管制度が生産者米価を引き上げてコメ増産を奨励した結果、大規模な余剰在庫米が発生し、兆円単位の食管赤字が国家財政を圧迫して大問題となった。現在は政府がコメの需給調節を担っているわけではないので、コメの供給が増えれば市場における米価の低落、コメ農家の破産となって問題が顕在化する。状況次第では5キロ1000円くらいに暴落しても不思議ではない。政府がいくら「増産」のかけ声をかけても、その先にある米価の下落を考えれば、莫大な機械投資を行って抜本的に生産を拡張しようと思う人はいないだろう。
コメ農家が一番求めているのも「米価の安定」だが、政府が需給を管理する食管体制に戻すわけにもいかない。あくまでも市場経済を前提に農家経営を安定させるためには、何らかの形で市場の価格変動を補完する必要がある。新食糧法の下では、生産調整による米価安定、低米価に耐えられる農家経営の大規模化・効率化に30年を費やしたが、これが限界に達したのが「令和のコメ騒動」だった。
これに代わる方策としては、現在のところ、コメ農家に直接所得補償するぐらいしか見当たらないのが現実だ。所得補償といっても、市価が生産費を下回った時にこれを補塡する米国方式や、生産面積や家畜頭数に応じて補助金を支給するフランス方式などさまざまなやり方がある。日本のコメ農家も一様ではないので一律の所得保障をするわけにはいかないだろうし、制度設計にあたっては現場の声に踏まえた試行錯誤の繰り返しが必要になると思うが、かなりの金額を要することは間違いない。
実際どの程度コメ農家に所得補償すれば本格的な増産が可能になるのか? 政府目標が30年で818万トン、仮にコメが二束三文になっても政府予算でコメ農家の収入を補償するとすれば、800万トンのコメの生産コスト2兆円 (22年のデータ、60キロの平均コスト1万5000円で計算、労賃込み)が必要になる。これは極論ではあるが、問題の所在を整理するブレインストーミングとしては有効だろう。コメ農家からすれば、コメ対策で兆円単位の予算がつかない限り、米価暴落を必然化するコメ増産に莫大な設備投資を行うことなどおそろしくてできない、ということは容易にわかるはずだ。 

「生産性」神話からの決別を
そもそも土地利用型の穀物生産において、日本が抱える自然条件はEUや米国と比べて圧倒的に不利である。農業経営面積は日本を1とすれば、ざっくりとした比較でEU10、米国100、オーストラリア1000。ちなみにオーストラリアは農業保護をほとんど撤廃している。圧倒的にコストが安いので保護する必要がないのだ。こんな国々と対等な条件で競争すれば日本の農業は壊滅するに決まっている。コスト競争なら逆立ちしてもカリフォルニア米に勝てない。「自由貿易」という彼らの土俵でものごとを考えてもまともな対応策が出てくるはずはない。アメリカや豪州のコメに対抗して「生産性」をきわめようとすれば、経済同友会がそうであるように、東日本の平地部に多い大規模経営にコメ生産を集約して800万トンのコメをつくらせ、西日本の中小零細経営には廃業してもらえばよい、というところまで行き着く。実際に農水省の関連文書を読んでも、こういう殺伐とした未来像しか浮かんでこない。日本の国土には荒涼とした廃墟(はいきょ)が広がることになりそうだ。
従来の発想を超えた対応策が求められている気がしてならない。たとえばスイスのように、農産物の商品価値にたいしてではなく、環境保護や国土の保全といった「農業の多面的機能」を評価して国家財政から農家に所得(340~580万円)を支払っている国もある。日本の水田にしても、豪雨時の貯水機能は日本のダム貯水能力の合計をはるかに上回るという試算もある。水田が担っている治水機能をダム建設費で換算すれば莫大な金額になるはずだ。
いっそのことコメ農家の所得補償にまるまる2兆円を予算化し、できたコメはタダ同然で食べ放題、余れば家畜飼料にする、というのが非常に単純でわかりやすい方法ではある。空論と言われれば空論だが、今でもわれわれはコメ代に年間4万円かけている。国民1人当たり2万円を負担して格安のコメを食べ、農家経営も安定するのなら、このくらいの税負担は安いという見方もできる。少なくとも、一方で莫大な金額をかけて中国とのミサイル戦争を準備しながら他方で中国富裕層に日本のコメを買ってくださいとお願いする、支離滅裂な現在の自民党農政よりもよほど現実的に思えるが、いかがだろうか。(了)