
歴史に記す2025年10月の政変
2025年10月10日は、歴史に残る日として刻まれることになった。自民党総裁に高市早苗を選出してから6日目、公明党が連立政権を離脱し26年に及ぶ「自公連立政権」が崩壊した。この日、石破首相は高市総裁らの反対を押し切って「戦後80年談話」を発表し、任期中の“宿題”を果たし、大戦への流れを止められなかった戦前の政治と政治家、メディアの責任を指摘し、今日のポピュリズムに迎合する流れを戒めた。
この日は世界では、トランプが剛腕を誇る「ガザ停戦と人質解放」が合意に至ったという歴史的な出来事も加わった。
3カ月の政治空白を招いた自民党内の政権争い
国内政治は、昨年秋の衆院選に続いて参院選でも自民党が大敗し、少数与党になった7月20日の参院選投開票から既に2カ月半を超え、来週にも予定される選挙後の国会召集まで3カ月という長い政治空白をもたらした。
衆院選の後は速やかに国会を召集し、首班指名選挙を行わねばならないが、参院選の後で首班指名を行わねばならない決まりはない。両院で少数与党になったにもかかわらず、石破首相は当面続投の方針だったなかで、自民党内での「石破降ろし」の動きが高まった末に、総裁選を先行させたことが長い政治空白をもたらした原因だ。
多党化時代への機能不全を露呈した与野党
政治空白が続いた大きな要因はもう一つある。参院選の結果、「自民党政治の終わり」がメディアや有識者の間で大方の認識に高まる一方、国民民主党や参政党が昨年の衆院選に続いて躍進し、日本政治は「多党化」の時代に入ったことも大方の共通認識になった。
二大政党の鼎立を前提にした、小選挙区制を敷いた1993年以降、自民と民主系政党の弱体化が進み、徐々に多党化への動きが進んでいたが、ここにきてEU各国と同様にポピュリズム政党や右翼政党が議席を得るように伸長し、「右からリベラルまでの国民政党」を標榜していた自民党の基盤が掘り崩されてきた。
こうした状況を前に、日本政治も「多党化時代」に入ったことは共通認識されていたものの、多党化時代における連立政権のありようについては、与野党ともほとんどの政党が経験したことのない状況に至り、選挙政権後の政権づくりに右往左往している中で、止めの一発ともいえる自公連立の解消が先の見えない状況に拍車をかけている。
「熟議」を通じて合意形成を図る基本的資質を欠いた政治家集団
「多様性の時代」と言われて久しいが、中間政党などが徐々に増えて多党化への道を歩みながらも、この国の政治は未だに80年間引きずってきた「ピラミッド型の組織政党」に慣れ親しみ、選挙で選ばれた一人ひとりの議員が政治家として自立できない。
議院内閣制だから、政府与党と野党の間では激しい議論を交わすが、多党化した少数政党間で政権協議することには不得手だ。10年前に始まった第2次安倍政権が「一強」化して集団安保法制など憲法改悪へのピッチを上げた際には、市民の働きかけで「市民と野党の共闘」が進み、戦後初めて野党による選挙協力が実現した。しかし、一強体制の弱体化や崩壊が進む中で、野党間の共闘は一部の選挙区を除きほとんど消滅した。
「よりましな政策」で合意する政権運営政党へ
EU諸国では一足早く二大政党体制が崩壊し、中間政党の乱立や移民・難民問題を引き金とした極右政党の伸長などもあって、多党化の中で連立政権の組み合わせは一層複雑になっている。多党化時代の連立政権づくりは、基本政策が異なる政党同士であっても「よりましな政策」で合意し、政権を運営する政党の責任を果たす能力が求められる。基本政策が一致しないと一緒に政権運営はできないという狭量な姿勢では、万年野党を甘んじるしかない。すべからく「政党は政権をめざす政治集団」と言うなら、基本政策や思想信条が異なっても「熟議を通じて国民に尽くす政権運営能力」を養わねばならない。
自治体議会の現場に日常接していると、自治体議会には「熟議」はおろか「議論を通じて合意形成をめざす」のが議会であるという原点すら脳裏にない議員が多いのに驚く。さすがに国会議員は「議論にたけた」政治家の集まりだと見てきたが、昨今の国会には議論のできない政治屋が横行するようになっていることに、閉口することが多い。
そもそも、議会は「万機公論に決すべし」と言われるように、明治時代から「言論の府」と言われてきた。10日の「石破談話」でも触れていたように、議会が言論の府として少数意見も尊重して熟議する機能を失って、数で決める場、体制翼賛の場に堕してしまえば、議会は崩壊し、民主主義の危機が深化する。

多党化時代は「熟議民主主義」に立ち返る好機
多党化は、本来の民主主義的な議会や政治を取り戻す大きなチャンスと捉えたい。本来、人間が10人寄れば10通りの意見があり、100人いれば100通りの意見が百家争鳴するのが普通である。そうした多様多彩な意見を、時間をかけた“熟議”を通じて幾つかのパターンやグループに集約し、さらに一つの意見に合意形成していくのが「民主主義のプロセス」ではないか。
意見の良し悪しや、政策の是非を議論によって集約していくのではなく、数を頼んで強引に決めていったり、昨今SNSの普及発展の中で問題になっているように、意見の良し悪しや政策の是非で判断するのではなく、声の大きい方に引きずられたり、犬笛に引き寄せられるように投票行動に向かうような風潮は、民主主義とは無縁の処し方でもある。
自治体議会の機能回復にもつながる中央政党の変革
多党化時代には、互いの意見や政策を吟味し、違いや共通点を探りながら一致点をたぐり寄せ、合意形成へ向けて熟議を重ねる手法や作法、資質や能力が求められる。私たちはいま、地域や自治体でこうした姿勢と真逆な「言いっぱなし、聞きっぱなし」で市民の意見を「聞いたふり」するだけでごまかす市政の変革や、コミュニティにおける参画と協働を鍛えていくための「熟議民主主義」のありようを議論している。
多党化の中で、否応なく熟議による合意形成する方向へ向かわざるを得なくなった国政の状況に、長いトンネルの出口を見出したい。数で決めることが普通の景色になっている中央政党による自治体議会の系列化が、自治体議会の熟議への取り組みを阻害している側面があるからだ。
自民も野党も「数から質」へ解党して、新時代に向けた出直しを
そのためには、自民党も政権党への利害得失をテコに「幅広い国民政党」に執着することをさっさとあきらめて、「解党的出直し」をあきらめて、基本的な考え方の異なる政治集団の野合をやめて、政治的グループをより純化する「解党」に踏み切るべきだ。野党第一党を形だけ維持する立憲民主党もまた、「数から質へ」の転換を図り、基本姿勢の異なる幾つかの集団に純化する方がいい。国民民主も維新も党内の不協和音を抱え込まずに“解党”して、志を同じくする政党が「ばらばらで一緒」の精神から、政界再編へ出直すべきではないか。
そのうえで、熟議を経て合意形成できる新しい連立政権像をめざすべきだ。それが新しい時代の到来につながる。いま、そうした再編が始まったと言える。
(まつもと・まこと/市民まちづくり研究所長、元神戸新聞記者)
