とんでもない憲法草案
結党5年にして、7月の参院選で14議席を獲得した「野党にいる保守政党」がある。憲法調査会に3名もの委員を出すことが可能となり、確実に憲法論議を促進する役割を果すことになりそうだ。
この政党の場合、日本国憲法の部分改正どころではなく、「国民主権、基本的人権、平和主義」の原則を全面否定し、明治憲法を復古するような内容に日本国憲法を作り直すという「創憲」を提示している。戦後の改憲諸案には見られなかった、反立憲主義の主張である。
この、とんでもない「野党保守」は「日本人ファースト」を掲げ、現政権のグローバル経済政策に起因をする「外国人の流入」を、「行き過ぎた外国人受け入れだ」「日本は日本人で支える国にせよ」などと叫ぶ…。「行き過ぎた規制緩和」「緊縮財政により、国民の経済生活は困窮している」など、排外主義的な反グローバルリズムと反新自由主義を訴える。
新自由主義による競争と分断、「自己責任」論に支配されてきた保守層、就職氷河期世代、困窮する若者、さらに政治的無関心層と言われる世代にも支持を拡げている。この「野党保守」の彼らは、隠された驚くべき「創憲」案を持っている。その憲法草案が制定されたなら、いわゆる「國體」の遵守が義務づけられ、これに反すれば非国民とされ、基本的人権が侵害され、人権保障はなくなってしまう。その理念とは、「日本の国益を守り、世界に大調和を生む」とし、「先人の叡智を活かし、天皇を中心に一つにまとまる“平和な国”をつくる」としている。

「國體」遵守、「天皇主権」
改憲し教育勅語 徴兵制 治安維持法そして戦争(朝日歌壇、11月9日)
「國體」が日本の伝統のように語られているが、「國體」を語ることそのものが国学的エスセントリズム(注1)である。日本の国家統合のための教化思想として神道を利用したものであり、民衆蔑視思想そのものである。彼らの「創憲」案とは、まぎれもなく「天皇主権の国家」を目指すものである。
第一に、日本国憲法の国民主権の規定を全て削除し、天皇を元首とする国家、君民一体の「國體」の代表として明治憲法のように、天皇に裁可権や詔勅を発する権限を付与している。さらに、国の統治は「國體」を「和の精神」を斟酌して行なうこととし、聖徳太子の十七条の憲法にいう「和をもって貴しとせよ。忤(さからう)ことなきを宗(むね)とせよ」ということであり、「天皇主権とせよ」そのものである。
第二に、日本国憲法の人権条項、思想・信教・表現・学問・身体などの個別的自由権や、請願権、国家賠償権など国家請求権の一切が削除され、社会権のうち生存的「権理」(注2)はあるが、「國」に義務づける規定などはなく、教育を受ける「権利」はあるが、「愛國心教育」が義務づけられている。労働基本権は、全て削除をされている。権利にかわる「権理」は、「国體」の遵守義務の枠内でのみ認められる。
私たちの言う法の平等の規定は奪われ、ジェンダー平等、夫婦別姓、外国人の参政権などは否定され、仮に日本国籍を取得しても孫の世代まで公務にはつけないなど、差別が容認されている。

「憲法九条」から「敵基地攻撃」へ
第三に、憲法九条の戦争放棄を捨て、自衛権発動による「自衛軍」の活動を容認し、国民の平和的生存権や苦役禁止規定をなくし、徴兵制が容認されている。
高市政権は「台湾有事、武力攻撃」が発生したら、日本は集団的自衛権行使し、戦艦等を使い「存立危機事態」に対処するとしている。さらに踏み込み、「最悪の事態も想定しておかなければならないほど、台湾有事は深刻な状況に今至っている」と、台湾有事の危機をとことん煽りに煽っている。海外への武力行使に、完全に踏み出そうとしているのだ。
「存立危機事態」と認定すれば、空港、道路、鉄道など全てを軍事優先とし、省庁、自治体も協力義務が課せられる。2025年度軍事予算は、過去最大8兆7005億円、新型多機能護衛艦「もがみ型」3隻を建造するという。日米一体となって海外派兵に参加するということだ。敵基地攻撃型反撃能力の戦略装備品として無人機、ドローンの導入、射程1000キロの長射程ミサイルを搭載した原潜の建造、反撃能力と攻撃能力を併せ持つ無人兵器を中心に、東南アジアからインドに及ぶ太平洋側の防衛体制を強化しようとしている。「台湾有事」を想定とした臨戦攻撃態勢が整えられつつある。
「野党保守党」として登場した彼らは、高市首相の所信表明演説、「わが国として主体的に防衛力の抜本的強化を進めることが必要」を完全に支えるものだ。経済も、軍事力で支えようとしている。彼らの「創憲」では、自衛権発動による自衛軍の活動を容認し、国民の平和的生存権や苦役禁止規定をとっぱらい、徴兵制を容認すると宣言している。私たちを「國體」の臣民とし、「戦場に追いやろう」としている。明治憲法の復古などの動きをを容認してはならない。(嘉)
*(注1)自分たちの文化や民族を、他よりも優れていると考える、自民族中心主義、自文化中心主義。(注2)「道理にかなった正しいこと」という意味が強い概念。一般に使われる「権利」が「個人の利益や主張に重点を置く」のに対し、「権理」は社会全体の道理や正義に基づいたもの。