2003年イラク戦争の際、バグダッドのドーラ浄水場に「人間の盾」として立て籠った高薮繁子さんが、久しぶりマレーシアから一時帰国し、旧知の人たちと彼女を囲み懇談した。彼女は「盾」の後、ムスリムになった。「なぜイスラム教に帰依したの」と聞いてみると…。
「いちばんいい生き方とはどういうものか、私は若いときからずっと自問し、悩んでいた。差別や戦争は絶対にいけないと思って生きてきた。また、死んだ後はどうなるのだろうか。生きていた人が、この世からいなくなる。私という存在も消滅する。そうだとしたら人は何のために生きるのだろう」「世界中でイラク反戦の行動があったが、なかなか戦争を止めることが出来そうにない。小泉首相(当時)が真っ先にイラク戦争を支持した」「その攻撃する側にいることに耐えられず、せめて攻撃されるイラクの人々の側にいたいと思い、人間の盾になった」

ムスリムの人たちの優しさ
「盾の仲間と浄水場を出ると、近所の人が私たちを家に招いていろいろ話をしながら、ご馳走してくれた。『毎日おいで…』と言われ、“社交辞令”と思っていたら、帰り際に『明日は何時に来るの?』と聞かれ本当に驚いた」
「また別の日、近所の子どもたちが家に誘ってくれた。おじゃますると、子どものお父さんが、ご両親を紹介してくれた。this is my father, this is my motherと言うだけなのに、ご両親を本当に宝物のように大切にしていることが感じられ、すごく感動した。この人たちは、絶対にいいなあと思った」「いったん家の外に出たら、そばに爆撃跡の大きな穴ぼこがあるのに、私のためにもてなし一杯のごちそうを用意してくれる」「その当時、サダム・フセインは半年、食料を人々に配給していた」
「母親が、毎日おいでよ。明日は何時に来るの? 銃撃音がしている中で、おいでよ、おいでよと言ってくれる」「戦闘最中でも、母親は子どもの頭をバリカンで刈る。子どもも怖がらずに。彼らは本当に優しい」

「浄水場で、同じ人間の盾に来ていたイギリス女性が熱を出したとき、イラクで世話をしてくれた人は、寝ずの番で看病してくれた。凄いなあ、と思った」「立て籠もっていたとき、庭をいっしょに散歩しながら『花がきれい』と言うと、その花を手折って私の髪に挿してくれた」「文化の違いはあるが、こうした優しさや生き方が素敵だと思った」「イスラムの人たちの、このやさしい感覚は、人間としていちばんいい生き方だと確信した」…高薮さんは、そう話した。

「精神科病院」での経験
「盾に行くとき、職場は精神科病院、看護助手だった。病院では、精神疾患を持っている人への社会の差別や偏見が、いかに間違っているか痛感した」「私は、ここで患者さんたちからたくさんのことを学んだ。純粋で優しかった患者さんたちを、今でもよく思い出す」
反戦のデモにも何度も行っていた。しかし、「デモしていても戦争止められんから、私、人間の盾に行く」と…。「初めはびっくりした友人たちも、『いいんじゃないの』と背中を押してくれた。それを、本当に感謝している」
彼女は、2回目のイラク行きのとき、サマワに派遣されていた自衛隊駐屯地に「撤退を求め」申入れに行った。途中の道は戦闘地域、巻き込まれ死ぬのではないかと思った(日本人のジャーナリスト二人が、マハディ軍に撃たれて殺された)。ボディガードをイラクのガイドに依頼し、費用を用意し、万一の時は外務省に行くとか、毎日のように連絡を取り合った友人もいた。

ムスリムとして穏やかに暮らす
「ダマスカスからレバノンを1日で周る観光バスで止められた。なぜ、と食い下がると『コンピューターの間違いと思う』と…。待っている間に、『後のバスに乗ってこいと』置き去りにされた」「やっとオーケーが出ると、この車に乗って…とカーチェイスでバスを追いかけてくれた」「追いついてバスに乗る。乗客は拍手で迎えてくれたが、運転手さんと車掌さんにはすごく嫌な顔をされた」
高薮さんの話を聞きながら、「命知らず」とも言えるが、他方で戦争は「こういう人々をも生みだしていくのか」と思った。彼女は、今は「平和ランキング」世界10位のマレーシアで、イスラム教徒として、持病と共存しながら穏やかに暮らしている。(啓)*写真/右2人目、高薮さん(バグダッド、ドーラ浄水場)