石田龍吉医師=11月8日、大阪府高槻市での報告会にて

今年9月8日から9日にかけて、ネパールの首都カトマンズの街頭を若者たちが埋め尽くし、腐敗政治を象徴する政府機関や政治家の公邸が炎に包まれました。政府への抗議デモを行っていた19人の学生や子どもたちが警察によって射殺されたことに対して、ネパール全土で巻き起こった怒りの抗議行動です。国会議事堂、最高裁判所、首相官邸、権力者たちの親族が経営するデパートや、パウエル大統領の息子が経営する超豪華なヒルトンホテルなど、汚職と利権で私腹を肥やしてきた者たちへの民衆の決起であり、特にZ世代(1990年代半ばから2010年代生まれ)の若者たちの決起でした。

石田龍吉医師のへき地医療実践
整形外科医の石田龍吉医師は、うえだ下田部病院(高槻市)の副院長として長く勤めてこられましたが、60歳の定年退職を期に、残りの人生を、若い頃からの夢であったネパールのへき地医療にかけたいとネパールに移住されました。以来17年間、当初は首都カトマンズから3日間もかかる無医村のへき地、ロルバ郡タバン村で、まともな医療器具も整わない小さな診療所で医療活動を行っていました。
現在は道路も舗装され、村民と協力して行政交渉をつみかさねた結果、大きな病院を立てるまでに発展しました。石田医師の献身的な姿は、多くの人々の支援を集め、さらにネパール政府を動かして永住ビザの取得もできました。

ネパールはどのような国か
ネパールは、超大国の中国とインドに囲まれた亜熱帯の山岳国です。アジアの最貧国のアフガニスタンに続く世界で2番目に貧しい国です。地形の影響もあり産業は主に農業と観光だけです。人口の3分の1(600万人)が国外で働いており、国庫の収入の27%を出稼ぎ労働者の仕送りが占めています。
宗教は8割がヒンズー教徒で、仏教徒やイスラム教徒が2割という多民族・多宗教の国です。従って人々の容貌もインド系の人もいれば中国系の人もいます。
ヒンズー教の厳しい階級制度や戒律、女性差別が過酷なネパール社会の実情を、診療現場で石田医師は目の当たりにしてきました。例えば、ハイカーストの患者は、先に来て順番を待っているローカースト(ダリットなど)の患者を無視して、ズカズカと診察に入って来ます。それに誰も文句を言わないのが、当たり前の日常なのです。また家庭内の女性差別も深刻です。食事は男性が先に食べ、女性や子どもが食べるのはその残り物です。そのため栄養不足の女性が多く、特に妊婦や新生児は低体重で母子双方の生命の危険につながることもあります。

ネパール・タバン村で政府に抗議してデモ行進する学生たち=石田龍吉医師作成のスライドより

2020年、隣県のソチ村では、ハイカーストの娘と結婚を約束したダリットの青年とその友人たち6人が虐殺されるという事件が起きました。この事件をもみ消そうとしたハイカーストの権力者たちに対して、ダリットの運動団体・人権団体が抗議に立ち上がりました。2023年12月、裁判所は「カースト差別に基づく集団虐殺事件」と認定し、襲撃に参加した24人に対して終身刑の判決を下しました。
さらに画期的なことには、この地方の市長にダリット出身者が選ばれたのです。歴史的に根強くあったカースト制度ですが、それを乗り越える被差別民衆の団結と新しい民主社会に向けた変革への動きを見ることができます。

ネパールの歴史
ネパールの国家体制は、実は連邦共和制です。2008年、マオイスト(毛沢東主義者)を中心とした革命で王制が廃止され、2015年にその平等主義の理念において世界トップレベルといわれる憲法が発布されました。しかし王制時代と変わらない官僚たちが支配する政府と行政機構のもとで、新しく権力の座についた革命家たちも腐敗に飲み込まれていったのです。
官邸を焼き討ちされ、首相の座を追われたオリ氏は、元々は王制に反対して14年間獄中に囚われ、統一共産党の党首となったカリスマ的な指導者でした。また石田医師に協力して病院建設の予算獲得に協力してくれた共和国初代首相のプラチャンタ氏も、内戦期にはタバン村周辺のジャングルに潜伏し、村民に匿われながら活動していた革命戦士でした。
しかし、その親族が経営するデパートが9月の決起で炎に包まれました。かつて民衆のために自己犠牲的に闘ってきた革命家たちの腐敗と堕落をみると悲しく悔しくてなりませんが、これはネパールだけのことではなく、先進国・途上国を問わず世界共通の現実なのでしょう。

17年前の小さな診療所(左上)から今年完成した大規模病院(右下)に至るタバン村の歩み=石田龍吉医師作成のスライドより

石田医師と新病院 これからの課題
日本では簡単に治癒するようなケガや病気でも、ネパールでは重篤化したり、死亡したりすることがあります。日本の平均年齢は48歳ですが、ネパールは25歳です。これは決して「若者や子どもが多くていいね」ということではありません。高齢者は人口比で10%にも届かず、多くの人が短命で早死しているのです。医療、衛生、栄養など改善すべき課題は多々あります。
石田医師とタバン村民が建設した新病院も問題山積です。建物だけは、それまでの診療所を遥かに凌ぐ大きく立派な病院ですが、待合室のイスにも事欠く有り様で、来院した赤ちゃんが床に寝かされています。レントゲン装置も手作りの木製の簡易なもので支えてあり、技師のX線の被ばく対策は大丈夫だろうかと心配になります。また病院の職員を募集しても、看護師の応募は一人もなく、もちろん医師や技師はまったく足りません。こんなへき地の病院には誰も来たがらないのです。ネパールでは医師は給料の高い米国など外国に行ってしまいます。石田医師が後継者として養成した女性医師(中国に留学)の月給は、物価の違いなどはありますが日本円で約4万円ですが、外国ではその数十倍の報酬が得られるでしょう。にもかかわらず彼女は石田医師に学んで、へき地医療に献身的に全力投球しています。
9月の若者たちの民主化運動は素晴らしいことですが、打倒対象となった政府の予算で作られたタバン村の新病院に継続して公的援助が得られる確証は全くありません。石田医師17年間の活動のなかで最大の危機に遭遇されていると思います。「日本の皆さんもどうぞ援助をお願いします」という石田医師の訴えに最大限応えていきましょう。(当間弓子)
 
ネパールへき地医療へのカンパの送り先
ゆうちょ銀行 00920−4−274715
口座名義:石田龍吉