平和台基金から贈呈される今年の支援カンパに、関西合同労働組合も8団体の一つに選ばれ、総会に招かれた。平和台病院闘争は、1970年7月に始まり76年6月に勝利し職場復帰、85年に病院閉鎖・解雇で16年間の闘いの幕が綴じられた。神戸の地では、知る人ぞ知る労働争議である。(参照:『「白衣の監獄」を解放するぞ!』鹿砦社)
平和台病院闘争に直接かかわっていない関西合同労組は、いったん辞退の意を伝えたが8団体の一つとのことであり、ありがたくお受けした。受賞団体は、あぱけん神戸、神戸移民ユニオン、ひょうごユニオン、ユニオンらくだ、ユニオンぼちぼち、自主生産ネットワーク、外国人技能実習生権利ネットワークなど、長年にわたり地域で活躍してきた団体ばかり。

元看護師さんら参加
争議、弾圧に対し支援してもらった浦弁護士、亡くなった分銅弁護士(もう一人)に、廣春夫・元委員長が深々とお礼の言葉を述べられていたのが印象的だった。当時の組合員だった看護師さんら4人も参加し、発言された。その団結の固さ、組合への帰属意識の強さに驚いた。浦弁護士は、反戦法律家連合(「反法連」)のメンバー。当時の「青法協」は逮捕された新左翼学生を弁護しないため、30名の弁護士で結成され、学生たちを救援し、弁護した。当時は若かった弁護士さんたちは、「平和台闘争の刑事弾圧との闘いが弁護士活動のスタートとなり、大変鍛えられた」という。

労働運動、市民運動の繋がりへ
自主生産ネットワークの鳥居一平さん、国会でも参考人として陳述した人(当時「移住連」=移住者と連帯する全国ネットワーク)。阪神大震災の被災地ワーカーズコープの経験と重なり、興味深く聞いた。著書『国家と移民』(集英社新書)に、「労働争議で差し押さえの際、社長にガソリンかけられ火をつけられた」とあり、「お身体は大丈夫ですか」と訊くと、「(30年たった)今も薬を飲んでいる」ということだった。この会の後、ユニオンネットワーク全国総会(関西合同労組・佐々木委員長も参加)に出発するということだった。私は、阪神大震災の被災地での労働運動を報告し、今、市民運動と連携する<社会的労働運動>を一言、述べさせてもらった。
55年間も仲間たちと運動を続け、いまなお平和台病院闘争の連帯と交流を大切に、各地で労働相談や弁護活動が続けられているということに、あらためて敬意と感謝の念を深くせずにはおられなかった。(関西合同労組/石田勝啓)
*「平和台基金」:元平和台病院労組と支援者が運営し、中小労働組合や個人の争議、社会的弱者の闘いなどへ財政支援などを目的に活動している。今回で終了するが、交流は続けられるという。