
辺野古海上行動(船長・カヌーメンバー)参加メンバー紹介(その2)
「あっ!拘束(海保員による)をかわした」「また、かわした!」と平和丸船上から興奮した声が沸き起こった。カヌーを操作しているのは毎土曜日、本島南部から来ているKさんだ。この後、さらにもう一度、連続3回、Kさんは海保員の拘束をかわすのに成功した。
私は、まだ一度も海保の拘束をかわせたことがない。他にも海保隊員の拘束をかわしたカヌーメンバーはいるが、3度もかわしたのはKさん以外にない。平和丸船上から大きな声が上がったのもうなずける。Kさんの卓越したカヌー操作術を知ってはいたが、3回もかわすとはと驚きだった。
Kさんは教員なので、毎週土曜日にしかカヌーでの抗議行動に参加できない。われわれのカヌーチーム「辺野古ぶるー」には、カヌー操作の指導者Tさんがいる。Tさんは学生時代から競技経験豊富なベテランである。Kさんは、そのTさんからの指導を忠実に学んでおり、Tさんお墨付きの腕前である。
「拘束をかわす気合」
翌週の土曜日は、月1回の「ゲート前県民集会」だった。Kさんも参加していた。「3回も連続、海保隊員の拘束をかわされたのですね!何か特別な秘策があったのですか」と訊いた。Kさんは控えめに、「GB(ゴムボート)から海保隊員がカヌーめがけ海に飛び込む瞬間に、カヌーの底を足で踏みつける(蹴る)と船尾が瞬間沈み、海保隊員は目標がなくなるのです」とのこと。
拘束された後で、海保隊員に「拘束できたと思ったでしょう」と声かけると、彼は「はい、急に目標がなくなって海に突っ込んでしまいました。班長に叱られますね」と答えたそうだ。
カヌーは「足で漕ぐ」
「カヌーは手で漕ぐのではない。足で漕ぐのだ」と言われる。私も最初どういうことなのか、わからなかった。私たちのカヌーチームを埋め立て作業現場から遠ざけるために敷設された沖縄防衛局のオイルフェンスは、最初はプラスティックの小玉(直径30センチ弱)を数珠繋ぎにしたものであった。多くのカヌーメンバーは、小玉のオイルフェンスを難なくカヌーで乗り越えていた。私は何度挑戦しても、できなかった。先輩メンバーからは、オイルフェンスにカヌーの先端が乗りかかったときに、「足でカヌーを蹴るのだ」との助言をもらったが、「どうやってカヌーを足で蹴るのだろう」と途方にくれた。
結局、私の考えた方法はカヌーの一番後ろに座り、勢いをつけて漕ぎだし、オイルフェンスの小玉の間にカヌーが乗りかかった瞬間、体をカヌーの先端に移動し、体重をかけて乗り越える、というやり方だった。これで、やっとオイルフェンスを越えることができたが、「足でカヌーを漕ぐ」はわからずじまいだった。
「フェンスを越え、声あげる…」
5、6年たって、カヌーの操作にも慣れたころ、Tさんが本格的にカヌー教室を開いてくれた。そこで、今までの我流のカヌー操作から、理論的にカヌーの操作技術を学ぶことができた。Tさんは、「身体のなかで最も筋肉が強いのは太ももだ。この筋肉を使わない手はない。カヌーを漕ぐときにもこの筋肉を使うと、推進力と艇の操作性が高まる。カヌーは足だ」と力説された。
私も7年目にしてやっと、「カヌーは足で漕ぐ」ことが体感できるようになった。おそらくKさんの見事なかわし方、「カヌーの底を踏みつける」という操作も「足で漕ぐ」ことの応用編だったのだと気づいた。
6月から姿を消していたサンドコンパクションが12月1日、6艘すべて大浦湾に戻ってきた。13日(土)は、海上大行動だ。「辺野古ぶるー」は抗議のため、オイルフェンスを越えて声を上げる。海保の拘束をかわしながら。(住田一郎)
