戦争をなりわいとするニンゲンが人間として生きているこの世(道浦母都子)

高市総理、「希望は戦争」ですか
2007年のことである。『論座』(2008年休刊)の1月号に、「『丸山眞男』をひっぱたきたい~31歳、フリーター。希望は戦争」というエッセィが掲載された。思わず気になって読んでみた。私も程度の差はあれ学校教育や、あるいは本を読むなど戦争の悲惨さは学んできたつもりである。「希望は戦争」という物騒な副題、悪霊に祟られてしまった。
彼は綴る。「平和とはいったい、なんなのだろう? 最近、そんなことを考えることが多くなった。夜勤明けの日曜日の朝、家に帰って寝る前に近所のショッピングセンターに出かけると、私と同年代とおぼしきお父さんが妻と子どもを連れて、仲良さそうにショッピングを楽しんでいる」と、日常の風景が繰り返されている。
「一方、私はといえば、結婚どころか親元に寄生して、自分一人の身ですら養えない状況を、かれこれ十数年も余儀なくされている。31歳の私にとって、自分がフリーターであるという現状は、耐えがたい屈辱である」「しかし、世間は平和だ」と…。そして、「戦争は悲惨だ。しかし、その悲惨さは『持つ者が何かを失う』から悲惨なのであって、『何も持っていない』私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる」というメッセージは、強烈である。平和が続けば、不平等も続く。ならば、戦争はチャンスでしかない、という。
彼、赤木智弘氏は、戦争という道具によって「現状の平和」を打ち壊し、新しい秩序や平等な平和を達成できるかもしれないという希望を表した。「現状の平和」が、私にとって平和でも何でもないという現実があっての「希望は戦争」である。そして、現状の平和が、他の誰かにとっての平和ではないという現実を変革し、正しい平和を達成せよという。
これは、しかし、よくよく考えてみれば自分が戦争から逃れられ、自分の待遇が良くなれば、それで終わり。自分以外の他者のことはどうでも良いということか。

略奪と分断
働けば給料は上がり、結婚し、家庭を手に入れ、電化製品を手に入れ、借家は持ち家に変わり、海外旅行に行け、仕事をリタイアした後は潤沢な年金を受け取り、満足なまま死の床につくこともできた。
今、生産と消費は全く無縁な蓄積活動を発達させた。「略奪による蓄積」である。都市の高級化、土地争奪、年金負担義務の放棄、企業と富裕層に対する優遇税制、そして「働け、働け、働け」の賃金奴隷の強制である。かつての豊かな時代、「一億総中流」の時代は完全に過ぎ去り、日本経済はすべての人々に平等な満足を与えることができない状況になった。かくして格差が生まれ、安定的労働者は不幸を押しつける側にまわった。
不安定で生産性の低い低賃金の雇用形態は、ますます貧しい労働者層を生み出した。新しい階級社会、最下層の「アンダークラス」が誕生した。そして、このアンダークラスが「ブラックホール」化し、あらゆる政治から疎外されつつある。「アンダークラスとは、パートの主婦を除いた非正規雇用の労働者」「1980年代から進んだ、格差拡大に伴って生まれた新しい階級であり、現代社会の最下層階級」だ。非正規雇用の労働者と正規雇用の労働者の間には、同じ階級とは見なせないほどの経済格差があるという(『新しい階級社会』橋本健二著)。

連鎖する格差
新保守主義と新自由主義の同盟、ナショナリズム、反グローバリズム、反移民、人種差別主義、排外主義、反共主義、反民主主義、権威主義…。
貧困層の家庭の子は貧困層という連鎖は生まれない、そもそも子どもが生み出されなくなった。経済的な理由で、結婚することも子を持つことも困難な人が多数を占めている。世代の再生産が起きにくくなっている。賃金とは、本来労働力の再生産にかかる費用である。労働者自身が疲れをとったり飲食したり、労働できる力を回復するために、そして子どもを産み育て、次世代の労働者を育むことである。
経済のグローバル化によって先進国の製造業は競争力を失い、衰退し、安い労働力を求め、企業の中心を先進国に残し海外移転する。産業の中心は、金融業とサービス業へと移行した。
格差の拡大は階級構造を一変させ、日本社会を新しい階級社会に変貌させた。産業構造は、高度な技術や判断力を必要とする高賃金のものと、低賃金の単純労働に分極化し、こうして最下層のアンダークラスが生まれた。グローバル化は、限りなく労働力と生産手段を一層流動化させ、労働者に安定した雇用と賃金は益々保障されなくなっている。そして、子孫を残さなくなった社会は、持続不可能なものとなっていく。(嘉直) (つづく)