これが「裁判」と言えるか
昨年12月10日、福岡高裁那覇支部、千葉和夫さんの控訴審で「主文、棄却する」との判決が言い渡された。その間わずか数秒。おまけに、裁判長がマスクをしていたため、何を言ったのかわからない。傍聴席はざわついた。ようやく「棄却」の判決とわかったが、もちろん傍聴者からは「これが裁判と言えるのか」との声が上がった。
千葉さんは、長く「辺野古ぶるー」メンバーとして埋め立て反対の抗議活動を続けている。2021年4月15日、エンジン2基を搭載した、GBと呼ばれる海保の大きなゴムボート2艇が千葉さんのカヌーに衝突した。千葉さんは意識不明となり救急車で運ばれ、今もその後遺症に苦しめられている。
判決後、裁判所前の広場で千葉さんと弁護団からの報告を聞いた。今回の控訴審で証拠として提出した平和丸船長の現場の動画を、裁判長は無視した。衝突の後、千葉さんが意識を失った。その異常に気づいた海保隊員から引き継いで、救急車を呼び病院に付き添ったのが平和丸の副船長だ。
事故を記録している証拠動画を完全に無視した、恣意的な判決であるとしか言いようがない。さらに、千葉さんが「仮病」でもあるかのような一方的な判断を下した。

海保の暴力、重症と後遺症
私が辺野古にかかわり始めたのは2014年9月からだが、そのころ千葉さんに会うことはなかった。千葉さんは、その年の7月の海上阻止闘争開始当初に、海保隊員による「拘束術」によって6カ月にも及ぶ重傷を負わされ、茨城の実家で必死にリハビリに励んでいたからだ。2015年に、千葉さんがカヌーチームに復帰した。
仲間たちとの歓迎会の席上、私は初めて彼から、海保による不当な「拘束術」により負傷させられ、「どんよりした曇り空の日は、気分も落ち込み首に痛みが走る」という後遺症について聞かされた。一時は、寝たきりの彼のベッドのそばに、息子さんが孫たちを連れてきたほど容態は厳しかったそうだ。
当時、海保による負傷者は10名にも及び、裁判所へ告発されていた。「原告に加わるよう」との連絡を受けたが、数カ月間、自力で一歩も歩けなかった千葉さんは、その時は原告に加わることを辞退せざるを得なかった。
2016年には、国と沖縄県翁長知事との間での那覇高裁による調停和解で、一時は新基地建設は中断した。その間、私たちカヌーチームは高江の米軍基地へ、オスプレイ配備に要するヘリパット建設反対闘争に参加していた。負傷による後遺症で、千葉さんはこの闘争にも参加できなかった。
その後、復帰した千葉さんだが、カヌー操作技術に卓越している彼は、海保のGBに狙い撃ちされた。千葉さんが海保隊員によって負傷したのは、今回で3回に及んでいる。

憲法の上にある安保、地位協定
裁判前に待合室でお会いした千葉さんは、体調が優れないようであった。元気な時の千葉さんを知っている私には、GBとの衝突事故による後遺症に違いないと、すぐにわかった。千葉さんは、裁判終了後の集会で「これが三権分立を謳う日本の司法なのか、ショックと憤りを隠せない。このままでは納得できない、さらにたたかう」と、静かな声で語った。
沖縄では米軍基地にかかわる、国を訴える案件のほとんどすべてが「原告側沖縄の敗訴」となっている。「憲法」より上位に「安保」があり、さらにその上に「日米地位協定」がある。戦闘機の爆音で脅かされる「静かであるべき」日常、繰り返される米軍関係の事故や事件、環境汚染、そして平和を求める非暴力の行動を潰そうとする、国家の暴力…。憲法より上位にある「地位協定」が、沖縄では痛いほどの現実としてある。(住田一郎)