
『中国の旅』(本多勝一)などを読み、わかっていたように思っていた自分が恥ずかしくなるほど、知らないことが多かった。昨年、南京に行ってきた友人が書いた「燕子矶、幕府山草鞋峡、煤炭港、中山埠頭、挹江門」等の漢字羅列の地名が、「中支那方面軍(ママ)」の戦闘・殺戮の記述から、血に染まる生々しい殺戮現場の地名と変わった。
「中支那方面軍」が独断先行で南京侵攻作戦を発動したことや、そもそも「中支那方面軍」は、松井石根を隊長として上海派遣軍と第10軍の仮編成で、副官・参謀合わせ10名足らずのトップがいるだけで、本来の方面軍司令部のように兵器部・経理部・軍医部・法務部(法務官が派遣され軍刑法違反を取り締まる)がなく、兵站機関がなく、軍隊の軍機・風紀をとりしまる正式機関がなく、軍隊と言える代物でなかった~とあるが、そのことの残酷な意味が理解できた。
侵略戦争を「事変」に
ブリュッセル会議(盧溝橋事件以来の日本の中国侵略についての協議)が、対日制裁を決定しなかったことを奇禍として、日本は大本営を宮中に設置した。そもそも日本は、「日中戦争は国際法上の戦争でない」として宣戦布告も行わず、「支那事変(ママ)」とし、天皇が直接作戦指導に関与するようになった。当時の国際連盟にも、不戦条約にも国際法に違反する国に対して制裁規定と制裁を執行する機関がなかった事実は、ガザやウクライナやベネズエラへの侵攻を止めることすらできない現状とも変わらない。90年近く、人類が一歩も前に進めていないことに溜息がでる。
「陸軍刑法」(1908年制定)第9章第86条」に、戦地・占領地における住民の財物略奪に対して「1年以上の有期懲役」、婦女強姦に対して「無期または7年以上の懲役」とあるのに、上官たちは「兵士の元気を作るに却って必要」と強姦を容認した。およそ法やルールなき軍隊が、南京侵攻の軍隊であったことを知る。

略奪・強姦・殺戮・放火
食料を補給せずに、挑発=略奪をおこなわせたのは司令部そのものであり、厳寒下に防寒・露営設備もないまま進軍を強制し、総勢7万人の日本軍をして、南京住民をほしいままに略奪・強姦・殺戮・放火せしめたのが軍司令部である。大本営そして天皇に、その責任がある。7万人の兵に対し憲兵がたったの17名とは、信じられない事実だ。
捕虜に食べさせる食料や施設などは全くなく、およそ軍規すらない軍隊であったため捕虜は全員殺害対象だった。日本軍は「投降勧告」ビラを撒きながら、投降者を収容することもなく殺戮の限りを尽くしたのである。揚子江が「赤く血に染まった」という。かくも非人間的なジェノサイドが、なぜ起きたのか、起こらざるを得なかったのか。その全体像に迫る書である。
153カ国が批准するジェノサイド条約に、主要国では日本だけが唯一批准していないミステリーの根拠には、南京事件があると言われている(条約は過去に遡及しないが、南京事件が世界中で議論にあがるからだという説はかなり根拠がある)。
「政治」による歪曲
「南京入城」前後では、強姦件数は1日1000件、最初の1週間で8000人以上の女性が犠牲にされた。南京安全区国際委員会で活動した外国人たちが、必死で女性たちを強姦から守ったことも紹介する。そのうちのドイツ人ジョン・ラーベは、ナチスの党支部長代理だったが、南京事件をヒトラーに報告し対中対日政策の変更を上申したとある。
“「南京大虐殺」についての歴史的事実をめぐる「論争」は、圧倒的資料や証言によって90年代に決着がついていたものが、90年代後半から「論争」の構造が変質し、政治家による歴史教科書や学校教育の統制により「論争の政治化」が進められ…閣議決定や政府の統一的見解は、「南京で行われたのは通常の戦闘行為以上でも以下でもなかった」という歴史的事実と異なる結論である”。(「結びに変えて」より) (啓)
