
高市首相の側近が「日本は核兵器を持つべき」と発言した。「原爆を知る」広島、長崎の被爆者、被団協は怒った。
核兵器禁止条約が国連で採択され、2021年1月に発効した。採択から9年となる。条約第1条は、「締約国はいかなる状況においても、『核兵器の…開発、実験、製造、生産、あるいは獲得、保有、貯蔵』を実施しない」と明記している。日本は唯一の「戦争被爆国」でありながら、署名も批准もしていない。締約国会議に、オブザーバーとしても参加しない(折り鶴が置かれた、欠席の日本席=写真)。

「軍都」だからか
戦前、広島には第5師団司令部、旧陸軍「被服支廠」(軍需品の工場、倉庫)など軍事施設が置かれていた。宇品港近くには陸軍船舶部隊なども配備され、「軍都」と呼ばれた。被服支廠はいまも崩れかかったレンガ壁や、歪んだ窓の鉄枠が並ぶ建物が保存されている。
「だから原爆が投下された」と言う人もいる。それは、私には「後付けの理由」のように思われる。何年か前、ある映画監督の女性と話したとき、少し「論争」になった。彼女は、「広島は軍都だった。軍事施設があったから原爆を落とされた」「広島の人たちは、広島が朝鮮・中国・アジア派兵の拠点だったという反省がない」…と言う。しかし、軍事施設、軍需工場、軍港などは他の都市にもあった…。「戦争に加担し、反省がない」のは日本中だった。なぜ「広島・長崎」だったのか。
アメリカの意図は、どこにあっただろうか。アメリカは1945年7月、「核分裂の巨大なエネルギー」を兵器とし、初めて「3発の核兵器・原爆」を完成させた。1発は、ニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で実験爆発させた。長崎被爆者・作家の林京子は、トリニティサイトを訪れたときのことを、「トリニティからトリニティへ」(『長い時間をかけた人間の経験』=講談社)に記している。

数十万の都市、人間に
実験で、原爆の威力はわかった。しかし、「数十万の都市、人間に」投下すれば、どうなるか。それが、アメリカが最も知りたかったことだろう。当時、広島の人口は、約35万人だった。日本の植民地支配により、朝鮮半島から移住させられた5万人余の朝鮮人も住んでいた。太田川など七つの川が流れる平野の広島、半島に囲まれた長崎…。
米軍はマリアナ、サイパンなどの基地に原爆投下のためのB29特別爆撃隊を編成、周到な準備を行なっている。重い危険な原爆を積み、目的地まで長距離を飛行しなければならない。目標上空で投下し、巨大な爆発と爆風から急速反転し離脱する…(計画と訓練の様子は、『原爆の落ちた日』半藤一利ほか著=PHP文庫に詳しい)。
1945年8月初め、日本は戦争を続ける力はなかった。アメリカは、7月26日に原爆の爆発実験を成功させ、すぐに2週間後に広島・長崎に投下した。アメリカの目的は「人間への投下」結果を知るとともに、「原爆の威力」を世界(とくにソ連:当時)に見せつけ「戦後の世界支配をアメリカが握る」ことにもあっただろう。
現在、米、ロ、中、仏、英、印、パキスタン、イスラエル、北朝鮮などが保有する核弾頭数は、約9600発。「核兵器の世界」は、いまも続いている。(竹田雅博)
