自死率、男性はアメリカが最も高く日本は2番目、女性は日本が最も高いという。
アメリカの、ネオリベラリズムの正当性は今、損なわれてきている。ネオリベラリズムは、政府の財政政策による経済介入を批判し、「小さな政府」であるべきとしてきたが、雇用や社会的福祉への影響をつくり出し、資本蓄積の条件を最適とすることを使命としてきた。優遇税制などの措置で企業利益の全側面を支援し促進し、このような施策が成長と革新を促し、やがては貧困を根絶、人口の大多数の生活水準を向上させるとした。
あらゆる業種に規制緩和が推し進められたため、大企業が市場において野放図に活動できる領域が次々と開かれた。市場は競争と改良をうながす大事な手段という思想が喧伝されたが、現実には市場が独占企業と多国籍権益を強化し、階級支配の鍵となりながら、富裕層のための減税が同時進行することにより、社会不平等は広がり、上流階級の権力が復活へと向けた大きな流れがつくりだされたのである。

公共財の民営化、商品化
それまで公共財だったものが私企業化し、商品化し民営化する、そのことがネオリベラルなプロジェクトを示す特徴となってきた。その主要目的は、これまで利益獲得とは無縁であるとみなされてきた領域で、資本蓄積のための場を開くことである。あらゆる種類の公共サービス(水道、電信、交通)、社会福祉事業(公営住宅、教育、医療、年金)、公共施設(大学、研究所、刑務所)、さらに戦争までも(民間契約による「軍人」たちが多数活動しているように)、資本主義世界ではすべて民営化は免れないのだ。
長年にわたる激しい階級闘争の末に獲得した共有財産権(国家による年金、福祉、国民健康保険にたいする権利を含め)が、私営領域に移し替えられたことはネオリベラルな正当性の名の下に追求された、あらゆる略奪政策のもとでもっとも露骨なものだ。これらすべてのプロセスが、公共と大衆の手から民間の階級的特権者へと資産が移行することにつながっていった。
ネオリズム(新自由主義)国家は、世界市場の競争主体になることを強いられ、商品、金融市場を確立するために、ナショナリズムを動員してきた。有利な地位をめざすグローバルな闘争を行ない、このなかで共に国民的誇りやナショナル・アイデンティを追求することになる。その際、新保守主義の持つ権威主義を強化することが求められた。新自由主義の動きを、競争を支えながら、その権威的なヒエラルキー的な、さらには軍事的な手段さえ用い法と秩序を維持することで、ネオリアリズムにある反民主主義的傾向を支えていった。さらには、国外の軍事化と国内の軍事化が、歩調を合わせながら進んでいった。

見捨てられる人々
ネオリベラリズムの大潮流のなかで、アメリカでは「白人至上主義者」が「自分たちは人種主義(レイシズム)の犠牲者だ」と主張するようになった。中産階級から脱落しかけている白人ブルーワーカーの自己像は、「ニート」からも軽んじられた、アファーマティブアクション(積極的格差是正措置)により、「黒人」から「抜け駆けされている」被害者だ。――ヨーロッパでも同様だ、排外主義の政党・政治家に票を投じる白人は、押しよせる移民によって自分たちの仕事や権利が奪われるのではないかと怯えている。
こうして、マジョリティである白人がアッパークラス(上層階級)とアンダークラス(下層階級)に分裂することになった。アンダークラスの白人は、誰からも同情されずに、まさに「見捨てられた人々」となった。

Map of the region Rust Belt in the United States of America

ラストベルトの人々
プアホワイトやホワイトトラッシュ(白いゴミ)と呼ばれる白人たちは、倒産した工場が放置されるラストベルト(錆びた地帯)に吹きだまり、仕事を失い、アルコール、ドラッグ、自殺「絶望死」している。彼らは、アファーマティブアクションによって黒人が不当に優遇され、自分たちがアメリカ社会の最底辺に追いやられたと考えている。仕事も家族・友人も、何もかも失った彼らには、自分が「白人」であるという以外に誇るものがない。こうして「白人至上主義」が生まれ、それらをトランプが激しく組織していった。
アメリカの自死者は、差別をされていた先住民、ブルーワーカーでも増えているということだ。
トランプ大統領が掲げる高関税政政策、「トランプ関税」はアメリカの商品市場、金融市場、雇用市場の完全グローバル化に損なわれている。アメリカ国内の産業と雇用を守リ抜くことを使命としており、海外から安く輸入される工業製品や農産物に高い関税を課すことで、国内製造業の再活性化を図るという政策だ。「トランプ関税」こそ、全世界を覆うネオリベラリズムのグローバルの敗北を示している。ネオリベラリズムの敗北と新保守主義の道へ、「モンロー主義のトランプの補足(ドンロー主義)を標榜した、軍事力がすべてを決するという。自死者は救えるのか。(嘉直)(おわり)