不知火海を望む相思社から、車はミカン山を抜けていきます。温州みかんだと思うのですが、樹にたくさん実がなっていました。

 車は海岸伝いに湯の児温泉を通り過ぎ、大崎ヶ鼻公園に着きました。ここからは、不知火海全体が見渡せます。案内していただいた相思社の方の説明によると、「ここから見える陸地、対岸の御所浦島、天草も含めて、水俣病患者が発生しているはずです」ということでした。前の熊本県知事、潮谷義子さんが「不知火海沿岸住人47万人の健康調査が必要」と話していたのに、頷けました。

▽八幡残渣プール

 大崎ヶ鼻公園を後に水俣市内へ戻り、水俣川の河口付近からチッソの八幡(はちまん)残渣プールを眺めました(現在は、埋立てられている)。

 前回、水俣のまちを案内してもらったとき、八幡プールの近くに行ったことがあります。フェンスに囲まれ、監視カメラで外部の者を寄せ付けない物々しさでした。プールの護岸の上を歩いていて、ふと足下を見ると白い粉がふき出ていました。

 原料のカーバイドの粉だと思います。アセトアルデヒド生産を止めて何年もたつのに、いまだに地面から出ている、ぞっとしました。対岸からプール護岸を見たのですが、白いスジが何本も見えました。カーバイドは、あまり毒性はないらしいのですが、それでも怖いです。

▽水銀ヘドロ

 案内してもらうとき、患者さんが多発した湯堂、茂道に行きたいとお願いしました。途中、エコパーク水俣に寄ってもらいました。16年の熊本地震のとき、水俣に住んでいる人たちの頭をよぎったのは、エコパーク水俣の下に埋め込まれている、水銀を含む膨大なヘドロが漏れ出すのではないかということでした。

 有害な水銀を含むヘドロと、汚染された魚を3000本のドラム缶に詰め、水俣湾に埋立てました。1977年から工事が始まり、90年に完了しました。埋め立て地は58・2ヘクタール、東京ドーム12個分の広さ、総工費は485億円と言われています。

 エコパークにはテニスコート、運動場、野球場の他、水俣病資料館などもあり、一見美しい様子をみせています。でも、閉じ込めているはずのヘドロやドラム缶がどういう状態になっているか、30年がたった今、ボーリング調査もしていないのです。

▽海づくり大会

 13年10月26日、「全国豊かな海づくり大会」が水俣で催され、現上皇夫妻が、このエコパーク水俣を訪れ、水俣病慰霊碑に献花。水俣病患者、家族10人と面談し、ご丁寧にも水俣湾にヒラメやカサゴの稚魚まで放流しています。

 天皇制を懐疑的にみているぼくからすると、こういう行事自体ごまかしとしか思えません。現天皇の奥さんである皇后雅子の母方のおじいさんが、チッソの社長の江頭豊です。江頭が社長の座に着いたとき、彼女は5歳くらいだったと思います。さらに、上皇后美智子の妹(正田恵美子)は新潟水俣病を発生させた昭和電工社長、安西正夫の息子である安西孝之と結婚。安西孝之自身も、昭和電工の役員を歴任しています。一方、天皇の祖父の昭和天皇は、1931年(昭和6年)、49年(昭和24年)と2度にも渡ってチッソ(当時は日本窒素肥料)を訪問しているのです。

 日本国家が、いかにチッソを大事にしていたか、わかるでしょう。国策会社というあぐらをかき、世界史に残る公害被害を引き起こしました。

(つづく)