
差別報道を自ら糺す
新潟日報の記者だった著者が、狭山闘争との関わりの中で自らの差別意識と向き合いつつ、メディアの差別報道を内側から糾弾し、労働現場で闘い抜いた記録をまとめたものが中心となっています。
狭山事件の報道は当初から、差別に満ち溢れていました。報道実態の一端が明らかにされてますが、本書を読んでそのひどい内容を初めて知りました。その差別報道を検証し、糾弾した過程が記録されています。著者やその仲間たちが狭山差別報道糾弾闘争に本格的に立ち上がるのは1973年。つまり狭山事件から10年後です。
この間、部落解放同盟から差別見出しへの糾弾が行われたり、他の差別事件への関わりがありながらも部落差別にまだそんなに問題意識が持てていなかった苦闘の過程を経て、自らもその差別に加担してきたものと反省して立ち上がっていったのでした。石川さんが二審の意見陳述の中でそうした報道を糾弾していることも紹介されています。
「マスコミ陣は警察当局の根拠不十分な見込み捜査を批判するのではなく、取り調べにてこずり、裏付け捜査が難航しているのは菅原部落が特殊地帯でほとんど血縁関係で結ばれているからと差別キャンペーンを流して市民をあおっていた。無実であった私は公器といわれるマスコミによってすでに殺人者としてあらゆる汚名を着せられていたことになる」。
著者たちは、狭山事件報道を捉え返し糾弾する闘いを激しい弾圧を受けながらもやり切りました。この記録をさまざまな現場の労働者に読んでもらいたい。労働運動という面でも有意義な内容です。
懐かしさと感動
読み始めたら、文体からある種の懐かしさを感じました。反戦青年委員会などで活動された方が書いたものだからでしょう。私がそういうところに関わり始めたのは90年代以降なので、先輩なのだろうと思いながら読みました。懐かしい文体とは場合によっては辟易するだけですが、読み進むと、とても誠実に現場で闘って来られた先輩なのだなと感動しました。生真面目に実践を貫いたことがよくわかりました。
この本には他に、いずれも故人である、作家の柴田道子さんや部落解放同盟東京都連合会江戸川支部長(当時)の中山重夫さんの貴重な講演録もあります。柴田道子さんの講演は亡くなる直前のものです。最高裁を、その威容から批判・糾弾する内容の迫力に圧倒されました。中山重夫さんの講演も部落差別故のきびしい生い立ちからの凄まじい内容でした。
お連れ合いの片桐奈保美さんが「被告の妻」という短いけれど印象深い文章を書いています。自分達の闘いが崇高なものであるかのように錯覚している活動家と、そんな闘いを泣いて批判する若者のやり取りなど。奈保美さんは、そんな若者の存在に救われる思いだったようです。(浅田洋二)