核威嚇と共有論
核・原発をめぐり最悪の事態が続いている。 プーチンによる核兵器の使用も辞さない威嚇がおこなわれ、ウクライナの原発や核施設への攻撃も相次ぐ。1950年代の原水爆実験ラッシュ、朝鮮戦争やベトナム戦争時の「核使用」発言、イラク、ユーゴへの劣化ウラン弾使用など、たびたび危機があった。しかし、これほど核がむき出しにされたことはない。
 安倍元首相が「核を日本に配備し共同運用へ議論するべき」といかにも軽く持ち出し、維新が後押しする。この暴言に被爆者の怒りは激しい。
原爆と原発
核は廃絶できるのか。ヒロシマ、ナガサキから77年となる。核保有5大国をはじめ世界は約1万3千発の核爆弾、ミサイル弾頭を保有する。原爆は広島、長崎、ビキニのように一瞬で膨大な放射線、熱線、爆風を浴びせ大量殺りくと深刻な放射能被害をもたらす。
 核分裂エネルギーはすぐに「平和利用」(注)に応用された。世界は400基以上の原発を運転し、計画中もある。
 「原発は、水と電気が止まれば原爆と同じ」。冷却水を循環させるために、大量の水と電気がいる。巨大地震や津波の可能性はゼロか。万一のとき送電を維持できるのか。100万キロワット級の原発が1年間稼働すれば、広島原爆の1000発分の死の灰(放射性物質)を蓄積する。核廃棄物処分の展望はない。
 チェルノブイリ、福島第一のように事故はかならず起きる。原発は原爆に使うプルトニウム239製造装置である。
 その一方、原発継続の動きも強固だ。関電は「原発はカーボンゼロ」というCMを流し始めた。1月に報道された「三菱重工など米高速炉計画に参入」も看過できない。
(注)「核は軍事用、原爆として開発された。核分裂は巨大爆弾に最適。平和利用は、その1面」(小林圭二さん)
核とは共存できない
原爆による大量放射線、一瞬の地表温度3000度の熱線、秒速400メートルの爆風、大量被爆による急性放射能障害によって、広島では14万人が殺された。
 広島・長崎の被爆から数日、数カ月、半年後、何万人の人びとがどのように死んだのか。被曝で染色体や遺伝子を破壊された細胞は再生できなくなる。数年、数10年後にも白血病やガンを発生させる。私たちは、原発事故が起こればどうなるかも知った。
 いったん生成、放出された放射性物質を除去することはできない。半減期は、短いストロンチウム90やセシウム137で約30年、プルトニウム239は2万4000年を要する。  それでもなお、「そのうち、なんとかなる」と考えるのか。旧東海村JCO事故で核分裂したウラン溶液は1ミリグラム。亡くなった作業員2人は、一瞬に8〜20シーベルトの中性子線を浴びた。8シーベルトで致死率100%。広島原爆の爆心から約1キロ内に相当する。人間と核は共存できないのである。
「核の論理」の転換
昨年8月6日の広島で田井中雅人さんは「核を保有する側は被ばくの被害を常に低く見積もろうとしていた。核禁止条約の禁止規定は、それを根本から崩してしまう。核の論理に終止符を打つ転換点になる」と話した。
 1945年から21世紀は、「原爆・核の世紀」とも呼ばれてきた。「トリニティ実験、ヒロシマ・ナガサキへの投下、20万人もの被爆死、その後の放射能症、核実験、世代を継ぐ放射線被害、原発事故」を、『長い時間をかけた人間の経験』(林京子)は記している。
 ロシアのウクライナ侵攻は、はからずも図上の数字ではない1万3000発を目前に引き出した。すぐに「核には核を」という抑止論が浮上する。「核抑止論、共有論」は何をもたらすだろうか。
 世界は一世紀を超え、なおその世紀を続けていくのか。広島・長崎から77年、福島事故11年。核禁止条約を頼み依拠するだけではない。核廃絶へ道筋は、見通せるだろうか。     (おわり)