
「狭山事件」という狭山差別裁判事件は、捜査の段階から一審内田死刑判決を経て現在の第3次再審請求にいたるまで、一貫して部落差別に基づく「冤罪」事件であり、恐るべき暗黒裁判であり、世界に稀にみる権力犯罪である。この権力犯罪を可能にした背景には、地域の根強い部落差別があった。
アメリカの「サッコとヴァンゼッティ」事件。イタリア移民や無政府主義者を狙った、この差別裁判では、電気椅子で処刑された2人に対し50年後に無罪が言い渡された。マサチューセッツ州知事は、この裁判は偏見と敵意に基づいた誤認逮捕並びに冤罪であると2人の無実を公表し、処刑日にあたる8月23日を「サッコとヴァンゼッティの日」と宣言している。この史実は『死刑台のメロディー』として映画化された。
歴史学者の黒川みどり氏は徹底して石川一雄さんに寄り添い、事件のはらむ問題をえぐり出し、世論に明らかにし、この夏の高裁の再審の可否の判断に何としても力を添えようと出版にこぎつけた。頭が下がる。感謝に堪えない。
袴田事件の再審決定で裁判所が「警察の証拠のねつ造の可能性」を認めたことは、決定的である。狭山事件では、2度の徹底した家宅捜索で見つからなかった「被害者の万年筆」が、石川さん宅の鴨居(かもい)から「見つかった」。それが、関巡査が下着の差し入れを口実に勝手に座敷に上がってきた時に仕掛けられたことは、家族の証言で明らかである。家宅捜索では、鴨居の横の「ネズミの穴」に突っ込まれた布きれを、捜査官が外してまで見ている!
その(被害者の)万年筆のインクの色が、被害者が使っていたライトブルーではなく、ブルーブラックであることも、蛍光エックス線法によって「まったく製法の違うインクである」という、新鑑定が出ている。「被害者がカートリッジを洗って入れ替えた可能性がある」論(可能性などいくらでも作られる!)も全く成り立たない。洗ったとしても、クロム元素が出てくるはずである。この一点でも警察の証拠捏造は明らかであり、鑑定を裁判所が調べれば再審決定が行わなければならない。そうすれば、この裁判は部落差別に基づく証拠の捏造であることが、満天下に明らかになる。
狭山再審を必ずかちとり、石川さん無罪を実現しなければ。そして、「石川一雄無罪の日」を作らねばならない。そうしてこそ、部落差別のない社会への第一歩となるに違いない。
「疑わしきは罰せずという推定無罪の原則は、日本には存在しない」という今村核「冤罪」弁護士の言葉は重い。(村井)
